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まるでタイムスリップ!情緒溢れる街並みの銀山温泉-500年の歴史を辿る-

更新日:2020年12月11日

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猫とワインと温泉が日々の癒し。自然の営みや偉大さを感じられる温泉が身近にある環境に感謝しつつ、その恩恵を堪能しています。後世まで大切に温泉とそれに伴う文化、歴史などを伝えていけるよう、独自の視点から日々執筆中。

山形県尾花沢市(おばなざわし)にある銀山(ぎんざん)温泉は、歴史を感じられる情緒溢れる街並みが魅力の温泉地としてその名を知られています。その趣のある街並みの誕生や温泉地となった背景など、今日の銀山温泉を作り上げたその歴史を紐解いてみましょう。これまで見えなかった銀山温泉の新たな魅力が見つかるかもしれません。

大銀山として栄えた「銀山温泉」は仙境の温泉!

銀山温泉はその名が示す通り、かつては銀鉱山が栄えた地域でした。

銀山は儀賀市郎左ェ門により発見された鉱山

銀山温泉の名は、室町時代に開坑され、江戸時代初期に最盛期を迎えた「延沢銀山(のべさわぎんざん)」という鉱山の名前に由来しています。

延沢銀山は、室町時代に儀賀市郎左ェ門(ぎがしろうざえもん)という人物によって発見されました。儀賀市郎左ェ門は夢のお告げで鉱石を発見し、生野銀山(いくのぎんざん)の作兵衛(さくべえ)という人物に鑑定を依頼したところ、鉱石には銀が含まれていることが明らかになったといういわれがあります。

その後、1457年に儀賀市郎左ェ門と作兵衛、そしてこの2人によって集められた鉱夫によって銀山が開坑されたといわれています。

鉱夫たちによって源泉が発見!有名温泉地へと変貌を遂げる

銀鉱山としての最盛期を迎えたのは1631年前後の寛永初期です。

温泉はそれより以前、1596年~1614年の間に延沢銀山で働いていた鉱夫たちによって源泉が発見され、利用されるようになりました。

1650年頃からは銀鉱山衰退の兆しが見られるようになりましたが、それでも一時期は盛り返し、銀の産出量が増加したこともありました。しかし、1677年以降は衰退の一途を辿っていくことにり、1689年には全て閉山に追い込まれてしまいました。

温泉地としての知名度は、銀鉱山の衰退と入れ替わるように上がっていき、銀鉱山から有名温泉地へと変貌していったのです。

今も大正時代の名残が色濃く残るノスタルジックな温泉街

1913年、銀山温泉は銀山川の大洪水の被害を受け、壊滅状態に陥りました。ほとんどの温泉宿が流されたことに加え、温泉の湧出量が減少し、源泉に川の水が浸入したことにより温度も低くなってしまったのです。

古の銀鉱山のごとく、このまま衰退していくと思われた銀山温泉ですが、1926年に源泉掘削(ボーリング)によって多量の湯が湧き出たため、それをきっかけに各温泉旅館は一斉に建て替えを行いました。

現在の町並みはこの頃に完成したものです。銀山温泉のある尾花沢市では、1986年に「銀山温泉家並保存条例」を制定し、当時の街並みの保存、温泉街景観の保持に努めています。

◇建物は伝統的な「木造多層建築」

銀山温泉は、銀山川の両岸に大正~昭和初期にかけて建築された洋風の木造多層建築が立ち並ぶ、ノスタルジックな街並みが見どころのひとつです。

季節によって、また時間帯によってもさまざまに表情を変える銀山温泉の街並みに魅せられる方はとても多くいます。一説では、宮崎駿監督のアニメーション作品「千と千尋の神隠し」の舞台のモデルとなった場所ではないか、とも言われています。

◇ 建物に隠された鏝絵は必見!

銀山温泉のもうひとつの見どころは「鏝絵(こてえ)」です。鏝絵とは、左官職人が顔料を混ぜた漆喰を使用して、鏝で文字や風景などを形作ったもので、多く旅館で見ることができます。特徴的な木造多層建築に鏝絵が彩を添えており、競うように旅館を装飾した建設当時の様子がうかがえるようです。

これほどの美しい鏝絵を一度に観ることができる場所はそれほど多くはありません。建築や美術を愛する方にも刺激的な街であるといえるでしょう。

江戸時代後期には「諸国温泉功能鑑」への記載も

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銀山温泉が有名となった江戸後期には、「諸国温泉功能鑑(しょこくおんせんこうのうかがみ)」にも記載されたことがわかっています。日本有数の名湯である証といえるでしょう。

諸国温泉功能鑑って何?

「諸国温泉功能鑑」は、寛永年間(1789年~1801年)に初めて作られたといわれている温泉の番付表で、当時人気であった相撲の番付表に合わせて温泉を順位付けしたものです。現在の温泉ランキングのようなものです。

ただし、「諸国温泉功能鑑」では人気順ではなく効能の高さ順になっています。相撲と同じように温泉地も東西で分けて評価されており、それぞれの最高位である西大関は有馬の湯、東大関は草津の湯(当時の相撲では横綱は存在せず大関が最高位であったため)となっています。

銀山温泉は前頭(まえがしら)として登場しています。

銀山温泉は歴史だけではなく泉質も魅力的

銀山温泉の泉質は、ナトリウム 塩化物・硫酸塩飲泉(低張性中性高温泉)です。無色透明で、若干ですが温泉独特の硫化水素臭がするのが特徴です。

切り傷や火傷、慢性皮膚病に良いといわれています。また、慢性婦人病や慢性消化器病、動脈硬化症や関節痛、うちみ、くじきなども適応症として挙げられています。

なお、銀山温泉は飲泉が可能で、飲泉によって慢性消化器疾患や慢性便秘、慢性胆嚢炎、胆石症、糖尿病、痛風などの改善が期待できると言われています。

銀山温泉で歴史を辿るならココ!おすすめスポット2選

せっかく銀山温泉に来たのなら、その歴史にもしっかりと触れたいもの。銀山温泉の歴史を知ることができるおすすめスポットを2箇所ご紹介します。

延沢銀山の跡地「延沢銀坑道」

「延沢銀坑道(のべさわぎんこうどう)」は、かつての延沢銀山の跡地で、現在では国指定史跡となっています。

浴衣姿で坑内を一巡できるのは全国でも珍しく、坑内は一年中20度以下の一定の温度に保たれているため夏場は涼やかに過ごすことができそうです。坑内は遊歩道や照明が整備されています。

<施設情報>
・住所:山形県 尾花沢市銀山新畑
・電話番号:0237-22-1111(尾花沢市商工観光課)
・営業時間:日の出~日没まで(冬季期間閉鎖)

少し足を伸ばして「芭蕉・清風歴史資料館」 へ

奥の細道(おくのほそ道)で知られる江戸時代前期の俳人である松尾芭蕉は、交流のあった俳人で豪商の鈴木清風(すずきせいふう)のもとを訪れ、銀山温泉のある尾花沢市に10泊もの長期滞在をしたといいます。

芭蕉・清風歴史資料館は、鈴木清風邸跡の隣に旧丸屋・鈴木弥兵衛家の店舗と母屋を移築したもので、建物自体が江戸時代の町屋の貴重な遺構(いこう)となっています。

<施設情報>
・住所:山形県尾花沢市中町5-36
・電話番号:0237-22-0104
・営業時間:9:00~16:30(11月~2月は9:30から)、毎週水曜休館、展示替え時、12/28~1/4