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千と千尋の神隠しの本当のモデルや舞台はどこ?各地に点在する温泉旅館

更新日:2024年02月11日

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むう

銭湯のとなりに住むほどの温泉好きで、温泉はまさにライフスタイルの一部。休日は宿自慢の料理でお腹も満たせ、気軽に旅気分が味わえる温泉旅館の食事付き日帰りプランがお気に入りでよく利用しています。チョイスの決め手は露天風呂で、大自然や街並みを眺めながら心ゆくまで湯に浸かり、日々の疲れをリセットさせています。

温泉好きのジブリファンなら気になって仕方がないであろう「千と千尋の神隠し」のモデルだと噂される温泉旅館。
今回はそんな「千と千尋の神隠し」のモデルとして噂されている温泉旅館を詳しくご紹介していきます。劇中で描かれる「油屋」とは何かについても解説しますので、ぜひ参考にしてみてください。

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ジブリの名作「千と千尋の神隠し」はどこの温泉地をモデルに!?

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「千と千尋の神隠し」に出てくる油屋や温泉街はどこの温泉地をモデルにしたのか。ジブリファンにとって気になる疑問に答える情報をお伝えします。

舞台は赤提灯が連なる台湾の「九份」

千と千尋の神隠しの舞台ではないかと注目されているのが台湾の「九份(きゅうふん、台湾読みでジョウフン)」です。

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スタジオジブリが公式に認めているわけではありませんが、石畳の狭い路地や赤提灯が連なる街の雰囲気はまるで映画そのものです。

本当に舞台なのかは別として、ジブリファンの聖地とも言われている九份は台湾旅行で欠かすことのできない観光スポットです。実際に異国の街中に迷い込むなら千尋になった気分で観光が楽しめるかもしれませんね。


劇中で描かれる「油屋」は湯屋のこと?湯屋の始まりとは

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千尋が働かせてもらった「油屋(あぶらや)」は、八百万の神々が日々の疲れを癒すためにやって来る架空の湯屋として描かれています。湯屋の歴史を簡単に紐解いてみましょう。

湯屋のはじまりは江戸時代!銭瓶橋に第一号として開業

湯屋の 歴史は江戸時代にまでさかのぼります。天正19年(1591年)、銭瓶橋(ぜにがめばし)のあたりに伊勢出身の伊勢与一が開業したのが湯屋の始まりだと言われています。 その後湯屋の軒数は600近くにもなり、土埃の舞う江戸の町で一日の終わりに湯屋でさっぱりするのが江戸っ子の習慣になったそうです。

当時は水や燃料が貴重でしたし火の用心も厳しく、各家庭に浴室がある現代とはお風呂事情が異なりました。町内の湯屋は町民にとって大切な存在となり発展していくことになります。

当時の湯屋は蒸し風呂?!混浴が多かったという話も

湯屋と聞くと、湯の中に浸かるお風呂をイメージするかもしれませんが、当時は蒸し風呂でした。しかも「入り込み場」「打ち込み場」と呼ばれる混浴がほとんどでした。蒸し風呂で体を蒸してから、湯女が竹べらで垢を落とす方法が取られていたようです。

男はふんどし、女は湯巻を付けて入るのが習慣でしたが、やがて湯を張るようになってから裸で入浴するようになりました。湯を張る形式が好まれるようになると、蒸し風呂式はだんだんと廃れていきました。

湯屋の歴史に欠かせない番頭「三助」の存在とは?

湯屋の仕事で欠かせないのが三助(さんすけ)です。三助は湯屋の使用人で、風呂を沸かしたり客の垢すりや肩もみをしたりするのが仕事でした。客の背中を流す仕事と言えば湯女もいましたが、風紀上の問題で禁止され三助が主流になりました。

男湯と女湯を行き来して手際よくサービスをこなす三助ですが、背中を流す以外にも仕事は多岐にわたり、修行を重ねてからやっと三助を名乗ることができたようです。

一度は訪れてみたい!千と千尋の神隠しのモデルと噂されるスポット8選

千と千尋の神隠しのモデルだと噂されるスポットを8つ紹介します。映画のワンシーンを思い浮かべながらの入浴は最高のひと時になるでしょう。

1. 赤い吊り橋のモデルは群馬・四万温泉の「積善館本館」

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群馬県にある四万温泉の「積善館本館(せきぜんかんほんかん)」は元禄7年創業の老舗温泉旅館です。本館へ続く朱塗りの橋は映画に出てくる赤い吊り橋を、館内のトンネルは不思議な町へ続くトンネルを連想させます。

「元禄の湯」は国の有形文化財に認定されていて、5つ並ぶお風呂と大正の雰囲気が感じられるアーチ形の窓が特徴的です。

<歴史>

「積善館」は、元禄4年(1691年)に初代当主・関善兵衛(せきぜんべえ)が旅籠屋(はたごや)として開業した温泉宿です。先祖は初代鎌倉幕府将軍・源頼朝にも仕えた武士の家系であり、現代に至る約300年ものあいだ、関家ゆかりの者が積善館の伝統を引き継いできました。

また、当館自慢の四万温泉は名湯として「国民保養温泉地第1号」に指定されています。国民保養温泉地とは、温泉の効用が明確で湧出量が豊富、そして景観や環境が優れている温泉地を指します。

<建物>

積善館は、「本館」「山荘」「佳松亭(かしょうてい)」の3館で構成されています。本館は開業当時と同じ建物であり、日本最古の木造建築物として県の重要文化財に指定されています。

昭和11年(1936年)に建てられた山荘は、豪華な桃山様式が認められ、国の登録有形文化財となっています。高台に佇む佳松亭は、昭和61年(1986年)に建築された純和風の旅館棟です。それぞれの建物は山の傾斜に沿っており、トンネルや階段で繋がっています。

<温泉>

積善館では、本館にある国の登録有形文化財「元禄の湯」をはじめ、5つの温泉を源泉かけ流しで満喫できます。混浴スタイルの岩風呂、山荘の無料貸切風呂と家族風呂、そして佳松亭の内風呂と露天風呂、予約制の貸切風呂など、それぞれに趣向が凝らされています。

提供:積善館(元禄の湯)

泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物硫酸塩泉であり、古くから「日本三大胃腸病の名湯」とも呼ばれてきました。飲泉も可能で、温水で飲んだ場合は胃腸を活発にし、冷水は便秘に効用があるとされています。

参考:積善館HP

2. 煌びやかなイメージのモデル。長野・渋温泉の「金具屋旅館」

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長野県にある渋温泉の「金具屋(かなぐや)旅館」は260年ほどの歴史を持つ老舗温泉旅館です。有形文化財に認定されている木造4階建ての「斉月楼(さいげつろう)」は、油屋を連想させる迫力の佇まいです。

野生の猿やリスが出現する自然豊かな場所にある金具屋旅館では、館内の複数の浴室で温泉三昧を楽しむことができます。

<歴史>

温泉宿「金具屋旅館」の始まりは、今から約260年前の宝暦8年(1758年)にまで遡ります。敷地内に温泉が湧出するまでは鍛冶屋(かじや)、つまり金具師であったため、屋号の「金具屋」がそのまま施設名となっているユニークな歴史があります。

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江戸時代には9つの外湯があったとされ、療養や遊興を求める地域の人々に愛されていたそうです。江戸末期に鍛冶屋を廃業し、温泉宿に特化したことでさらに客数が増え、戦争中にも多くの人が湯治に訪れていました。

<建物>

昭和11年(1936年)に完成した木造4階建ての「金具屋斉月楼(かなぐやさいげつろう)」と「金具屋大広間」は、国の登録有形文化財に指定されています。現在も完成当時の姿のままであり、昭和初期の文化と技術、木の息づかいを体感できる空間となっています。

金具屋では、宿泊者向けのツアーとして「金具屋文化財巡り」も行っています。毎日夕方頃に開催され、金具屋の歴史や建築の魅力について解説してもらえます。ご宿泊の際は、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。

<温泉>

金具屋は5口の共同引湯の他に、4つの自家専用源泉を所有しています。専用源泉は、高さ15mに及ぶ噴泉や地下3mの岩盤から湧出するものなど湧き方が様々で、泉質もそれぞれに異なります。

浴場は8つあり、3ヶ所の大浴場と5ヶ所の貸切風呂が敷地内に点在しています。湯口はもちろん、蛇口からでるお湯もすべて源泉かけ流しの火山性高温泉というのが嬉しいポイント。露天風呂と浪漫風呂は源泉が異なるため、比較してみるのもおすすめです。

参考:金具屋HP