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千と千尋の神隠しの本当のモデルはどこ?各地に点在する温泉旅館

更新日:2021年04月26日

温泉好きのジブリファンなら気になって仕方がないであろう「千と千尋の神隠し」のモデルだと噂される温泉旅館。今回は千と千尋の神隠しのモデルとして噂されている温泉旅館を紹介します。劇中で描かれる「油屋」とは何かについても解説しますので、ぜひ参考にしてください。 新型コロナの影響により、各施設の営業状況は変更の可能性があります。詳細は公式HPをご確認ください。らくらく湯旅では引き続き読んで楽しめる温泉情報を発信していきます。

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ジブリの名作「千と千尋の神隠し」はどこの温泉地をモデルに!?

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「千と千尋の神隠し」に出てくる油屋や温泉街はどこの温泉地をモデルにしたのか。ジブリファンにとって気になる疑問に答える情報をお伝えします。

舞台は赤提灯が連なる台湾の「九份」

千と千尋の神隠しの舞台ではないかと注目されているのが台湾の「九份(きゅうふん、台湾読みでジョウフン)」です。

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スタジオジブリが公式に認めているわけではありませんが、石畳の狭い路地や赤提灯が連なる街の雰囲気はまるで映画そのものです。

本当に舞台なのかは別として、ジブリファンの聖地とも言われている九份は台湾旅行で欠かすことのできない観光スポットです。実際に異国の街中に迷い込むなら千尋になった気分で観光が楽しめるかもしれませんね。

劇中で描かれる「油屋」は湯屋のこと?湯屋の始まりとは

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千尋が働かせてもらった「油屋(あぶらや)」は、八百万の神々が日々の疲れを癒すためにやって来る架空の湯屋として描かれています。湯屋の歴史を簡単に紐解いてみましょう。

湯屋のはじまりは江戸時代!銭瓶橋に第一号として開業

湯屋の 歴史は江戸時代にまでさかのぼります。天正19年、銭瓶橋(ぜにがめばし)のあたりに伊勢出身の伊勢与一が開業したのが湯屋の始まりだと言われています。 その後湯屋の軒数は600近くにもなり、土埃の舞う江戸の町で一日の終わりに湯屋でさっぱりするのが江戸っ子の習慣になったそうです。

当時は水や燃料が貴重でしたし火の用心も厳しく、各家庭に浴室がある現代とはお風呂事情が異なりました。町内の湯屋は町民にとって大切な存在となり発展していくことになります。

当時の湯屋は蒸し風呂?!混浴が多かったという話も

湯屋と聞くと、湯の中に浸かるお風呂をイメージするかもしれませんが、当時は蒸し風呂でした。しかも「入り込み場」「打ち込み場」と呼ばれる混浴がほとんどでした。蒸し風呂で体を蒸してから、湯女が竹べらで垢を落とす方法が取られていたようです。

男はふんどし、女は湯巻を付けて入るのが習慣でしたが、やがて湯を張るようになってから裸で入浴するようになりました。湯を張る形式が好まれるようになると、蒸し風呂式はだんだんと廃れていきました。

湯屋の歴史に欠かせない番頭「三助」の存在とは?

湯屋の仕事で欠かせないのが三助(さんすけ)です。三助は湯屋の使用人で、風呂を沸かしたり客の垢すりや肩もみをしたりするのが仕事でした。客の背中を流す仕事と言えば湯女もいましたが、風紀上の問題で禁止され三助が主流になりました。

男湯と女湯を行き来して手際よくサービスをこなす三助ですが、背中を流す以外にも仕事は多岐にわたり、修行を重ねてからやっと三助を名乗ることができたようです。

一度は訪れてみたい!千と千尋の神隠しのモデルと噂されるスポット4選

千と千尋の神隠しのモデルだと噂されるスポットを4つ紹介します。映画のワンシーンを思い浮かべながらの入浴は最高のひと時になるでしょう。

赤い吊り橋のモデルは四万温泉の「積善館本館」

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群馬県にある四万温泉の「積善館本館(ぜきぜんかんほんかん)」は元禄7年創業の老舗温泉旅館です。本館へ続く朱塗りの橋は映画に出てくる赤い吊り橋を、館内のトンネルは不思議な町へ続くトンネルを連想させます。

「元禄の湯」は国の有形文化財に認定されていて、5つ並ぶお風呂と大正の雰囲気が感じられるアーチ形の窓が特徴的です。

<歴史>

「積善館」は、元禄4年(1691)に初代当主・関善兵衛(せきぜんべえ)が旅籠屋(はたごや)として開業した温泉宿です。先祖は初代鎌倉幕府将軍・源頼朝にも仕えた武士の家系であり、現代に至る約300年ものあいだ、関家ゆかりの者が積善館の伝統を引き継いできました。

また、当館自慢の四万温泉は名湯として「国民保養温泉地第1号」に指定されています。国民保養温泉地とは、温泉の効用が明確で湧出量が豊富、そして景観や環境が優れている温泉地を指します。

<建物>

積善館は、「本館」「山荘」「佳松亭(かしょうてい)」の3館で構成されています。本館は開業当時と同じ建物であり、日本最古の木造建築物として県の重要文化財に指定されています。

昭和11年(1936)に建てられた山荘は、豪華な桃山様式が認められ、国の登録有形文化財となっています。高台に佇む佳松亭は、昭和61年(1986)に建築された純和風の旅館棟です。それぞれの建物は山の傾斜に沿っており、トンネルや階段で繋がっています。

<温泉>

積善館では、本館にある国の登録有形文化財「元禄の湯」をはじめ、5つの温泉を源泉かけ流しで満喫できます。混浴スタイルの岩風呂、山荘の無料貸切風呂と家族風呂、そして佳松亭の内風呂と露天風呂、予約制の貸切風呂など、それぞれに趣向が凝らされています。

提供:積善館(元禄の湯)

泉質はナトリウム・カルシウム-塩化物硫酸塩泉であり、古くから「日本三大胃腸病の名湯」とも呼ばれてきました。飲泉も可能で、温水で飲んだ場合は胃腸を活発にし、冷水は便秘に効用があるとされています。

参考:積善館HP

煌びやかなイメージがぴったり渋温泉の「金具屋旅館」

出典:PIXTA

長野県にある渋温泉の「金具屋(かなぐや)旅館」は260年ほどの歴史を持つ老舗温泉旅館です。有形文化財に認定されている木造4階建ての「斉月楼(さいげつろう)」は、油屋を連想させる迫力の佇まいです。

野生の猿やリスが出現する自然豊かな場所にある金具屋旅館では、館内の複数の浴室で温泉三昧を楽しむことができます。

<歴史>

温泉宿「金具屋旅館」の始まりは、今から約260年前の宝暦8年(1758)にまで遡ります。敷地内に温泉が湧出するまでは鍛冶屋(かじや)、つまり金具師であったため、屋号の「金具屋」がそのまま施設名となっているユニークな歴史があります。

出典:PIXTA

江戸時代には9つの外湯があったとされ、療養や遊興を求める地域の人々に愛されていたそうです。江戸末期に鍛冶屋を廃業し、温泉宿に特化したことでさらに客数が増え、戦争中にも多くの人が湯治に訪れていました。

<建物>

昭和11年(1936)に完成した木造4階建ての「金具屋斉月楼(かなぐやさいげつろう)」と「金具屋大広間」は、国の登録有形文化財に指定されています。現在も完成当時の姿のままであり、昭和初期の文化と技術、木の息づかいを体感できる空間となっています。

金具屋では、宿泊者向けのツアーとして「金具屋文化財巡り」も行っています。毎日夕方頃に開催され、金具屋の歴史や建築の魅力について解説してもらえます。ご宿泊の際は、ぜひ参加してみてはいかがでしょうか。

<温泉・泉質>

金具屋は5口の共同引湯の他に、4つの自家専用源泉を所有しています。専用源泉は、高さ15mに及ぶ噴泉や地下3mの岩盤から湧出するものなど湧き方が様々で、泉質もそれぞれに異なります。

浴場は8つあり、3ヶ所の大浴場と5ヶ所の貸切風呂が敷地内に点在しています。湯口はもちろん、蛇口からでるお湯もすべて源泉かけ流しの火山性高温泉というのが嬉しいポイント。露天風呂と浪漫風呂は源泉が異なるため、比較してみるのもおすすめです。

参考:金具屋HP

油屋のモデルは日本最古の温泉で有名「道後温泉本館」

愛媛県にある道後温泉本館(どうごおんせんほんかん)は日本最古の温泉として有名です。夏目漱石も入浴したことで知られていますが、ここは旅館ではなく共同浴場です。商店街を抜けると現れる歴史ある道後温泉本館は独特の世界観を作り出しています。

堂々とした風情の道後温泉本館は地元の人にも愛されていて、ちょっとした会話で裸の付き合いが楽しめる親しみやすい温泉でもあります。

<歴史>

道後温泉は、約3000年の歴史を誇る日本三古湯の一つです。「日本書紀」や「源氏物語」などの古い文献にも登場し、飛鳥時代に聖徳太子が来浴した話をはじめ、伝承も数多く残っています。

夏目漱石が英語教師として松山に滞在していたことから、道後温泉は小説「坊っちゃん」の舞台にもなりました。「坊っちゃん」の大ヒットによって道後温泉の評判は全国区となり、さらにミシュラン・グリーンガイド・ジャポンでは最高位の三つ星を獲得。今や世界に誇る名湯として知られています。

<建物>

木造3階建ての道後温泉本館は、明治27年(1894)に改築されました。小説「坊っちゃん」の作中で賞賛された「住田の温泉」は、まさに道後温泉本館のことであり、当時からいかに素晴らしい温泉だったのかが想像できます。三層楼(さんそうろう)の建物は、屋根に据えられた白鷺が特徴であり、現在は国の重要文化財にも指定されています。

毎日6時・12時・18時には、本館屋上の「振鷺閣(しんろかく)」から「刻太鼓(ときだいこ)」が鳴らされます。道後の温泉街に響き渡る昔ながらの音色に、耳を傾けてみましょう。

<温泉>

道後温泉本館には、「霊の湯」と「神の湯」という2つの風呂が設けられています。石造りの「神の湯」は、円柱形の「湯釜」が独特な雰囲気を演出しており、国の重要文化財にも指定されています。

提供:道後温泉本館

全国的に知られてからも、本館に訪れるのは観光客だけではありません。現代においても、地元の人々は銭湯感覚で入浴に来ています。源泉かけ流しを気軽に楽しめる公衆浴場としての価値も、この場所の魅力だと言えるでしょう。泉質はアルカリ性単純泉で、肌に優しいなめらかな湯となっています。

参考:道後温泉本館HP

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千と千尋の神隠しの舞台のモデルと噂されるノスタルジックな街並み「銀山温泉街」

山形県にある「銀山(ぎんざん)温泉街」は大正ロマン漂うノスタルジックな街並みで有名です。500年の歴史を持つ温泉街は、レトロな木造の旅館が軒を連ねていて、時間が止まったかのようにゆっくりと過ごすことができます。

石畳の小道、夕暮れに明かりがともるガス灯など、ノスタルジックな雰囲気に包まれるとジブリ映画の世界に迷い込んだ気分になることでしょう。

<歴史>

銀山温泉は、古くから銀山として知られていた場所ですが、温泉地として賑わうようになったのは寛保年間(1741年)といわれています。江戸時代初期に大銀山「延沢銀山(のべさわぎんざん)」として栄えたことが、「銀山温泉」という名称の由来となっています。

もともとは深い山奥にある「秘湯」であり、地元の人々は湯治客を相手に細々と宿屋や商いを行っていました。客足が増加したのは、発電所が造られた大正末期から昭和初期にかけてのことです。さらに、平成の新幹線延伸によって、全国から観光客が訪れるようになりました。

<建物>

銀山温泉の魅力の一つに、古き良き日本を感じるノスタルジックな景観が挙げられます。銀山川の両岸に建ち並ぶ洋風木造多層の旅館は、大正末期から昭和初期にかけて建てられたものです。

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昭和元年に高温多量の湯が湧出したことで地域活性に力が入り、各旅館は一斉に洋風化しました。しかし、戦後は洋風に縛られることもなくなり、和風の建物が増えています。それぞれに個性のある宿を選ぶのも、銀山温泉を訪れる楽しみです。

<温泉>

銀山温泉にある各旅館は、川沿いに湧出した源泉をそのまま内湯として引き込んでいます。「出羽(でわ)の名湯」として名高い温泉は乳白色で、きめ細かい湯花が混ざっているのが特徴です。

泉質は保温が続くナトリウム-塩化物・硫酸塩温泉で、神経痛や関節痛、冷え性、皮膚病などでお悩みの方におすすめです。飲泉した場合は、便秘や糖尿病などに効用があるとされています。食事の1時間から30分前に飲泉を行うと、より効果が期待できるでしょう。

参考:銀山温泉HP

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千と千尋の神隠しのモデルを発見しに温泉地巡りをしよう

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千と千尋の神隠しのモデルとなった温泉旅館だと噂される建物は複数あります。しかし、肝心の宮崎駿監督は「特定のモデルはない」と公言していて、いくつかの場所をヒントに舞台が作られたと考えられます。

噂になる温泉旅館は実際に行ってみると映画の世界観を感じることができるものばかりです。「もしかしてここじゃないの?」と思いながら温泉を楽しむのもいいですね。

本当のモデルは作者である宮崎駿監督のみが知り得るところですが、実際に足を運べば証拠となるかもしれない発見が待ち受けているかもしれません。