歴史は新しいが奥が深い!石和温泉の過去を紐解く


提供:石和温泉観光協会
更新日:2024年5月9日

山梨県にある「石和(いさわ)温泉」は、温泉地としての歴史はさほど古くはありません。その一方で石和の地名は古文書にも記されており、鎌倉時代から政治や経済の中心地として栄えていました。また、戦国武将として名高い武田信玄ゆかりの地でもあります。今回はそんな石和温泉と石和の地の歴史についてご紹介します。

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1956年(昭和31年)、石和温泉の歴史は突如としてはじまる

提供:石和温泉観光協会

石和温泉は、山梨県笛吹市の旧東八代郡石和町にある温泉地です。

隣接する地域には春日居(かすがい)温泉もありますが、宿泊施設や源泉位置が共に同じ場所にあるため、実質的に一体化されて石和温泉と名付けられています。

そんな石和温泉は、1956年(昭和31年)という比較的新しい時代に歴史が始まりました。そこにはどんな歴史が潜んでいるのかを辿っていきます。

最初の湧出は1956年

石和温泉の最初の湧出は、今から64年前の1956年12月で、小松遊覧農場(現在の日本中央競馬会の場外勝馬投票券販売所ウインズ石和)の敷地内で井戸を採掘していたところ、源泉が湧出したのが始まりです。

最初の湧出からすぐに昭和時代のレジャー施設として地元で人気となり、ローマ風呂なども設置されるようになりました。

さらに1961年、旅館「いずみ荘」でも湧出

小松遊覧農場での最初の湧出から5年後の1961年には、旅館「いずみ荘」で温泉の掘削を行ったところ毎分2,000リットル49度の温泉が湧出しました。

その後、即席の露天風呂が造られるなど「青空温泉」としてテレビで放送され、注目されるようになりました。同時に、地域内の宿泊宿でも掘削が行われるようになったとされています。

湧出後、高度経済成長時代に人気温泉地として急激に発展

提供:石和温泉観光協会

1961年に旅館「いずみ荘」で湧出したことから、当時の高度経済成長時代の波に乗って石和温泉は急激に発展していくことになります。

急激な発展の裏には交通手段の発展がある

石和温泉の急激な発展には、交通の便も影響しています。

たとえば、石和温泉までは、新宿駅から特急「あずさ」や「かいじ」で1時間半という近さであり、自家用車で行く場合でも、中央自動車道の開通によってアクセスが容易となりました。

全盛期は熱海に次ぐ規模の温泉街へ

そうした交通の便のある石和温泉は、京浜地区の奥座敷と呼ばれ、全盛期には熱海に次ぐ規模の温泉街へと発展しています。

さらに、温泉街としては新日本観光地100選の第3位に選ばれるなど、石和温泉は観光地としても有名になりました。

温泉の歴史は新しいが「石和」の地の歴史は古い

石和温泉の歴史は、1956年の湧出以降のこと。

温泉としての歴史はまだまだ新しい石和温泉ですが、石和の地には古文書にも記されるほどの古い歴史があります。

古文書にも記される「石和」

石和の地名は古文書にも記されていて、地名の由来やその変遷について「石」「胆沢」「井澤」「石和」といった名前(どれも読みは「いさわ」)が残っています。

石和は鎌倉時代から政治や経済の中心地として栄え、近世には甲州街道の宿駅としても発展してきました。また、江戸時代から明治まで笛吹川(ふえふきがわ)の水害を幾度も経験し、その復興を繰り返しながら成長してきて現在の姿となっています。

武田信玄とも関係の深い地

石和の地は戦国武将で有名な武田信玄ともゆかりのある地であり、石和町にある「石和八幡宮(いさわはちまんぐう)」は、甲斐国(かいのくに)守護の武田氏の歴代当主が尊崇してきたという歴史があります。

石和温泉の歴史を辿る主なスポットを紹介

鎌倉時代からの歴史がある石和の地には、武田氏に因んだ歴史的スポットが多くあります。

石和温泉を見下ろす大蔵経寺山の麓にある「大蔵経寺」

提供:大蔵経寺

大蔵経寺(だいぞうきょうじ)は、山梨県笛吹市石和町松本に所在する寺院で、石和町北西にある大蔵経寺山南麓に位置しています。

提供:大蔵経寺

大蔵経寺は甲斐真言宗七壇林(だんりん)のひとつで、本尊は不動明王です。寺伝によると、奈良時代の僧侶である行基(ぎょうき)によって722年に開創されたとしています。

提供:大蔵経寺

また、甲斐国志によると、室町時代に将軍・足利義満(あしかがよしみつ)の庶子(しょし:本妻以外の女性から生まれた子)とされる観道(かんどう)によって再興されました。

その後、武田信成(たけだのぶなり)によって再興され、大蔵経(だいぞうきょう)を奉納したことから現在の寺名になっています。

武田家の氏神として代々崇敬された「石和八幡宮」

提供:石和八幡宮

石和八幡宮(いさわはちまんぐう)は、山梨県笛吹市石和町に所在する神社で、天足彦国押人命(あめたらしひこくにおしひとみこと)を祀っています。

提供:石和八幡宮

源氏の氏神である八幡信仰の神社であり、中世では甲斐国守護の武田氏の歴代当主が尊崇していた神社です。

甲斐国守護職だった武田信光(たけだのぶみつ)により、鶴岡八幡宮から勧請合祀(かんじょうがっき)し国衙八幡宮(こくがはちまんぐう)と改めたのち、石和八幡宮と称しました。

 

祭神は武田信玄公「武田神社」

提供:武田神社

武田神社は山梨県甲府市古府中町2611に所在し、名将武田信玄を祀っている神社です。この神社は信虎、信玄、勝頼の三代が住んでいた躑躅ヶ崎館跡(つつじがさきやかたあと) に建立され、戦国時代のファンだけでなく、百戦錬磨の武田信玄の勝運にあやかろうとする多くの人が参拝に訪れます。

提供:武田神社

躑躅ヶ崎館跡(つつじがさきやかたあと)は、武田氏館跡として国の史跡に指定されており、山梨県内では甲州市の勝沼氏館と並んで資料価値の高い城館跡です。

提供:武田神社

武田神社は1915年(大正4年)、大正天皇の即位記念に武田信玄に従三位(じゅさんみ:位階及び神階における位のひとつ。簡単には地位や身分のひとつ)が追贈されたのを契機とし、翌年の1916年(大正5年)に武田神社奉建会が設立され、1919年(大正8年)に社殿が竣工しています。

武田家との関係が深い石和温泉へ歴史スポットを巡る旅へ出かけよう!

提供:武田神社

石和の地は温泉だけでなく、古くは鎌倉時代から栄えた政治・経済の中心でした。特に甲斐国の守護だった武田氏との関係が深く、武田氏縁の寺院や仏閣など多くの歴史的遺産あります。

温泉を楽しむことはもちろん、それらを見て歩くのも楽しい旅となるでしょう。

ぜひこの機会に石和温泉に出かけてみてはいかがでしょうか?