文人や詩人たちの心を魅了した風情溢れる城崎温泉の歴史を紐解く


更新日:2024年4月23日

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猫とワインと温泉が日々の癒し。自然の営みや偉大さを感じられる温泉が身近にある環境に感謝しつつ、その恩恵を堪能しています。後世まで大切に温泉とそれに伴う文化、歴史などを伝えていけるよう、独自の視点から日々執筆中。

多くの文人に愛された温泉地、城崎(きのさき)温泉。城崎温泉は平安時代以前にまでさかのぼる、長い歴史を持つ由緒ある温泉地としても知られています。 ここでは、城崎温泉の起源や城崎温泉にゆかりのある文人など、城崎温泉の歴史について見ていきましょう。

城崎温泉はコウノトリが発見?1,300年もの歴史を持つ城崎温泉とは?

城崎温泉は1,300年もの歴史を誇る温泉地です。そんな城崎温泉の由来とは、どんなものなのでしょうか。

城崎温泉の「城崎」の由来

「城崎(きのさき)」の名前の由来は諸説あるようですが、城崎温泉守護の寺「温泉寺(おんせんじ)」に関係する由来がよく知られているようです。

温泉寺のご本尊、33年ごとに御開帳される秘仏の「十一面観音立像(じゅういちめんかんのんりゅうぞう)」は、2mを超える大きな桧の一木彫り。この観音さまは、奈良時代の仏師(ぶっし)、稽文(けいもん)の手によって彫刻されました。大和の国の長谷寺の観音さまと同じ霊木よりもう一体の観音さまを掘り出そうとした稽文ですが、志半ばにして病に倒れ、未完成のままその観音さまは長楽寺(ちょうらくじ)というお寺にお祀りされることになります。

この長楽寺近隣ではその後疫病が流行し、その原因が未完の観音さまにあるのではないかと考えた村人たちは、川に観音さまを流してしまいました。

木野崎後に辿り着いた観音さま

同じころ、現在の城崎温泉のある地に霊湯が湧き出たことを耳にした稽文は、湯治のために霊湯を訪れると、たちまち病は治癒。帰途につく際に近隣を見物していると、付近の浦に流れ着いた観音さまを発見します。この観音さまこそ、稽文が未完のまま長楽寺に安置し、その後村人の手で流されてしまったあの観音さま、後の温泉寺のご本尊となる十一面観音立像だったのです。

この観音さまは巨木の最も先端の部分を使用していることから、観音さまの発見されたこの地が「木の先」=「城崎」と呼ばれるようになった、ということです。

城崎温泉のはじまり

言い伝え1:コウノトリによって発見された?

城崎の7つの外湯のうちのひとつ「鴻の湯(こうのゆ)」には、城崎温泉は、怪我をしたコウノトリによって発見されたという言い伝えがあります。

舒明天皇(じょめいてんのう)の御代(みよ)、田の中に足を浸していた怪我をしたコウノトリが数日後には怪我が癒えた様子で元気に飛び立ったことから調べてみると、その場所には温泉が湧いていたということ。

一説ではコウノトリは1羽ではなく夫婦で怪我を癒していたとも伝えられており、このコウノトリの言い伝えが残る「鴻の湯」は夫婦円満のご利益もあるといわれています。

 

言い伝え2:城崎温泉の始まりは道智上人(どうちしょうにん)の祈願から?

また、「まんだら湯」には、別の言い伝えが存在します。717年に城崎の地を訪れ、病に苦しむ里人の姿に心を痛めた道智上人が城崎の鎮守を担う4柱の神に祈願すると、ご神託を授かりました。

道智上人は、ご神託で示された場所に庵を結んで千日もの間一心にお経を唱えたところ、ご神託通り霊湯が湧き出したといいます。その場所こそが現在の「まんだら湯」であると伝わっています。

この道智上人の祈願によって霊湯が湧き出したことをもって、「城崎温泉の発見」とされているようです。


「城崎にて」にも登場 小説家とのゆかりも深い城崎温泉

城崎温泉と聞くと、有名な文学作品「城の崎にて」を思い浮かべる方も多いのではないでしょうか。白樺派を代表する小説家、志賀直哉の手による短編小説です。

「城の崎にて」には志賀直哉の実話が記されていた

「城の崎にて」では、主人公の「自分」が電車に跳ね飛ばされて怪我を負ったため、城崎温泉に湯治に訪れます。

実はこれは志賀直哉の実体験。志賀直哉は実際に東京の山手線の電車に跳ね飛ばされており、大怪我を負っています。かなりの重傷で、東京の病院に入院し何とか命はとりとめたようですが、それほどの大怪我であれば後遺症などもあったのではないかと考えるのが自然でしょう。

その後、志賀直哉は療養のために城崎温泉を訪れました。ちなみにその当時志賀直哉が逗留した旅館、「三木屋(みきや)」は現在も営業を続けており、宿泊が可能です。

城崎温泉で傷を癒している間にイモリや蜂、鼠の死を目の当たりにした志賀直哉は、その経験を基に「城の崎にて」を執筆した、といわれています。

その他多くの歴史的な文人や詩人も訪れた温泉地

城崎温泉は、志賀直哉をはじめ多数の文人・詩人が訪れた温泉地として知られています。島崎藤村や司馬遼太郎、松尾芭蕉、向井去来(むかいきょらい)、沢庵和尚(たくあんおしょう)や与謝野博・晶子夫婦など、その数はかなりのもの。

城崎にはいたるところに文豪ゆかりの地に建てられた文学碑があるので、文学碑めぐりをしてみるのもいいのではないでしょうか。

城崎ならではの、贅沢な温泉地の楽しみ方です。


城崎温泉は外湯めぐりの発祥の地。七福を招く7つの外湯

城崎温泉といえば外湯めぐり。外湯めぐりは今でこそ各地の温泉地で行われていますが、外湯めぐりの発祥の地はここ、城崎温泉なのです。

外湯めぐりってどんなもの?

外湯とは、宿泊施設を伴わない共同浴場のことを指します。この共同浴場をめぐるのが外湯めぐりです。

城崎ではそれぞれ個性の異なる7つの外湯があり、地元の方も日常的に使用しています。温泉地によっては観光客を歓迎していない外湯も存在しますが、城崎温泉の外湯は比較的観光客向けに整備されており、外湯めぐりになれていない方でも利用しやすい傾向にあります。

温泉ごとに良縁成就や家内安全等のご利益あり!

7つの外湯はそれぞれ趣が異なるので、外湯ごとに違った良さを味わえるでしょう。温泉そのものもそうですが、城崎の外湯は温泉ごとに異なるご利益があるのもうれしいポイントです。

それぞれの外湯のご利益を紹介しましょう。

・「鴻の湯(こうのゆ)」 夫婦円満・不老長寿、しあわせを招く湯
・「まんだら湯」 商売繁盛・五穀豊穣 一生一願の湯
・「御所の湯(ごしょのゆ)」 火伏防災・良縁成就 美人の湯
・「一の湯(いちのゆ)」 合格祈願・交通安全 開運招福の湯
・「柳湯(やなぎゆ)」 子授安産、子授けの湯
・「地蔵湯(じぞうゆ)」 家内安全・水子供養 衆生救いの湯
・「駅舎温泉 さとの湯」 ふれあいの湯


城崎温泉の歴史を学ぶならココ!おすすめスポット3選

外湯めぐりを堪能したら、古くから伝わる城崎温泉の歴史を学んでみるのもいいのではないでしょうか。

志賀直哉の文学も学べる「城崎町文芸館」

城崎温泉ゆかりの作家に関する展示を行う「城崎町文芸館」。志賀直哉をはじめとした白樺派の作家たちと城崎温泉との関わりを紹介すると共に、城崎ゆかりの文人の所蔵作品を展示しています。

<施設情報>
・住所:兵庫県豊岡市城崎町湯島357-1
・電話番号:0796-32-2575
・営業時間:9:00〜17:00
・休館日:毎週水曜日、年末年始

 

城崎温泉の始まり「温泉寺」

城崎温泉を開いた道智上人によって738年に開創された古刹(こさつ)で、城崎温泉守護の寺です。

南北朝時代を代表する建築で、但馬最古の建造物である五間四面(ごけんしめん)の本堂、鎌倉時代の宝篋印塔(ほうきょういんとう)は国指定重要文化財に指定されています。

<施設情報>
・住所:兵庫県豊岡市城崎町湯島985-2
・電話番号:0796-32-2669
・拝観時間:
9:00~16:30(本坊・本堂・城崎美術館)
8:30~17:00(夏季・薬師堂)
9:00~16:30(冬季・薬師堂)

 

兵庫県指定文化財に指定!「二見谷古墳群」

6世紀半の築造といわれている二見谷古墳群(ふたみだにこふんぐん)は、円山川(まるやまがわ)で水運管理や漁業を営んでいた一族首長の墓であり、1975年に兵庫県指定文化財の指定を受けました。現在周辺一帯は史跡公園として整備されています。

高台にある1号墳は、円山川の対岸に国の天然記念物である「玄武洞(げんぶどう)」が臨める穴場スポットです。

<施設情報>
・住所:兵庫県豊岡市城崎町上山1600


歴史的な文学人に愛された城崎温泉で足跡を辿ろう!

文人たちに愛された歴史ある温泉地、城崎温泉。7つの外湯めぐりを楽しみながら、由緒ある温泉寺を訪ねたり文学碑めぐりをして文人たちの足跡を辿ったりなど、さまざまな楽しみ方のできる温泉地です。

霊験あらたかな温泉に浸かり、古の文人たちと同じ時を過ごしてみませんか?

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