開湯320年以上の歴史を誇る四万温泉!その秘密に迫る

更新日:2021年1月22日

開湯320年以上の歴史を持つ群馬県の「四万(しま)温泉」は、四万の病を癒やす霊泉と言われ、特に胃腸病に効く温泉として「日本の三大胃腸病の名湯」と呼ばれてきました。四万温泉の起源は2つの説がありますが、いずれも古い歴史的な言い伝えが残っています。そこには、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)や碓井貞光(うすいさだみつ)といった歴史上の人物が登場し、歴史好きの人にとってもたいへん魅力的な温泉地だといえます。

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群馬県にある「四万温泉」とは

四万温泉は、群馬県吾妻郡中之条町にある温泉です。四万温泉は三国山脈に発して南進する四万川(しまがわ)の上流域に位置します。

日本三大胃腸病の名湯と言われてきた

四万温泉は宮城県の「峩々(がが)温泉」、大分県の「湯平(ゆのひら)温泉」と共に胃腸病に効く温泉として知られていて、「日本の三大胃腸病の名湯」と呼ばれてきました。

上毛かるた(群馬県の歴史・自然・産業などを詠んだ郷土かるた)にも「世のちり洗う四万温泉」と詠われています。

四万温泉の泉質と効能

四万温泉の泉質は、ナトリウム、カルシウム塩化物硫酸塩泉(低張性中性高温泉)で、切り傷・神経痛・疲労回復などによいとされています。

また四万温泉を飲むことは胃腸病を軽減させるとされ、公共の飲泉所もありますし、独自の飲泉所を持っている旅館もあります。

湯宿は永禄六年に開かれたのが最初とされている

四万温泉の湯宿は、永禄6年(1565年)の戦国時代末期に初めて開かれたといわれ、古くから「草津の仕上げ湯」と呼ばれてきました。

当時は、同じ群馬県にある強酸性の草津の湯で湯治をしたあと、保湿・美肌効果のある塩化物・硫酸塩泉である四万温泉に入泉するのが、定番となっていたことに由来しています。

「四万」の由来は四万の病を治すの意から

提供:積善館

四万温泉の名前の由来は、四万の湯が「四万の病を癒やす霊泉」であるとする伝説からきています。また、その伝説には古い言い伝えが残っており、いずれも有名な歴史上の人物と関係しています。

四万温泉の起源には2つの説がある

提供:積善館

四万温泉の起源には2つの説があり、平安時代の武将である坂上田村麻呂が征夷大将軍のときに、この地で入浴したことが始まりという説と、同じく平安時代の武将である源頼光(みなもとのよりみつ)の家臣で四天王のひとり、日向守・碓井貞光(うすいさだみつ)が、越後から上野国に至る途中にこの四万の地を訪れたことが始まりという説があります。

坂上田村麻呂が入浴したことから

四万温泉の起源のひとつは、桓武(かんむ)天皇(737~806年)の御代に征夷大将軍として蝦夷征服にきた坂上田村麻呂が、この地で入浴したのが始まりとするものです。

坂上田村麻呂は、平安時代の公卿で4代の天皇に仕えた忠臣として名高く、桓武天皇の軍事と造作を支え、二度の征夷大将軍を務めて蝦夷征討に尽力しました。

死後は、武神や軍神として信仰の対象となり、現在でも武芸の神や厄除の大神として親しまれ、後世に多くの田村語りや坂上田村麻呂伝説が創られました。

日向守・碓井貞光が神託を受けたことから

もうひとつの説は、延暦年間(782~806年)に源頼光の家臣だった、渡辺綱(わたなべのつな)、坂田金時(さかたのきんとき)、ト部季武(うらべのすえたけ)と共に四天王の名を轟かせていた日向守・碓井貞光が、越後から上野国に至る途中にこの四万の地を訪れたことを始まりとするものです。

日向守・碓井貞光は、この地で夢うつつの時に童子から神託を聞き、目覚めた後に湧出する温泉を見つけました。

その後貞光は、一宇の堂を建立して自らの守本尊の薬師如来を安置し、それを日向守貞光寺薬師瑠璃如来(ひゅうがのかみ さだみつじ やくしるりにょらい)と名付け、温泉は「御夢想の湯(ごむそうのゆ)」と呼び、神託にちなんでこの地を四万「しま」の郷と名付けたという説です。