江戸時代の銭湯の驚くべき常識とは?|浴場の小ネタ(71)
出典:photoAC(江戸時代の銭湯の常識ってどんなものだったの?)
この記事を書いた人
湯あがり ぽか子
温泉大好き40年のベテラン。「一湯一会」を逃さないために、常に手ぬぐいを持ち歩いています。長年の経験で、お湯を触っただけで大体の泉質がわかる特技を持ちます。温泉が好きが高じて、温泉ソムリエ・温泉観光アドバイザーの資格を取得。日本の宝である「温泉文化」を皆さんにお伝えできることが喜びです!
銭湯のはじまりは、奈良時代の寺院で庶民に沐浴を行わせていた「施浴」にまでさかのぼると言われています。その後、平安時代や鎌倉時代などを経て様々な形で大衆浴場が営まれ、現在のように庶民がお金を払ってお風呂に入る「銭湯」の形として成立したのは江戸時代と言われています。
さて、この江戸時代の銭湯ですが、現在とは違った部分も色々とありましたが、その中には現代の常識からは考えられないようなものも。一体、江戸時代で当然だった、今ならば驚くような銭湯の常識とは、どのようなものでしょうか。
目次
浴場の小ネタは3択クイズ。正解はどれ?
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
↓
浴場の小ネタ「江戸時代の銭湯の驚くべき常識とは?」の答えはこちら
出典:photoAC(現代では男女別が当たり前に!)
正解は、「 ③ 男女混浴 」でした。
なんと、江戸時代の銭湯は男性も女性も区別なく、一緒にお風呂に入るのが当たり前だったそう。その形は「入込(いりこみ)湯」と呼ばれ、長らく続いていたそうなのですが、やはりそこは裸の男女が一緒の場所にいるということで、問題が起きることも少なくなかったのだそうです。
それが大きく変わったのは水野忠邦が起こした「天保の改革」によるもので、その時から男女別になるのが一般的になっていったそうです。