文豪・井上靖が愛した【下風呂温泉】源泉かけ流し|本州最北端に湧く異泉質2湯と漁り火の絶景
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湯あがり ぽか子
温泉大好き40年のベテラン。「一湯一会」を逃さないために、常に手ぬぐいを持ち歩いています。長年の経験で、お湯を触っただけで大体の泉質がわかる特技を持ちます。温泉好きが高じて、温泉ソムリエ・温泉観光アドバイザーの資格を取得。日本の宝である「温泉文化」を皆さんにお伝えできることが喜びです!
青森県下北郡風間浦村。
本州の最北端に近いこの小さな漁師町に、室町時代から湯治客が絶えなかった温泉があります。
津軽海峡に面した斜面に温泉街が広がる下風呂温泉は、わずか100メートル以内の距離に泉質が異なる3つの源泉が湧く、全国でも類まれな温泉郷です。
硫黄の香りが漂う湯けむりの向こう、海峡の沖にはイカ釣り漁船の漁り火が灯る。
昭和の文豪・井上靖がこの光景に魅せられ、名作「海峡」を書き上げた地です。
目次
本州最北端の秘境 大間崎と仏ヶ浦を巡る下北の旅

出典:大間町観光協会
下風呂温泉のある風間浦村は、下北半島の最北部に位置しています。
車窓に津軽海峡の青い海が続く道を走ると、やがて「こヽ本州最北端の地」の石碑が立つ大間崎に辿り着きます。
対岸の北海道・函館まではわずか17.5キロメートル。晴れた日には函館山の稜線がくっきりと見えます。
大間崎のほど近くには、本州最北端の岬として知られる弁天島があり、灯台と朱色の弁天神社が海に浮かぶ島に建ちます。石
川啄木がこの地で名歌を詠んだという逸話も残っています。
下風呂温泉からさらに南下すると、下北半島屈指の絶景スポット「仏ヶ浦」が待っています。
白い流紋岩が海岸に林立する神秘的な光景は、自然が長い年月をかけて彫り上げた芸術品です。
遊覧船で海側から眺める岩のフォルムは雄大で、その圧倒的なスケールに言葉を失います。
下風呂温泉は、そんな本州最北端の旅の疲れを癒す、最高の湯の宿です。
津軽海峡の恵み 大間マグロと風間浦鮟鱇の食文化

出典:大間町観光協会
下風呂温泉の旅でもうひとつ外せないのが、津軽海峡が育む豊かな海の幸です。
「大間マグロ」は、太平洋の黒潮と日本海の対馬海流、千島海流が交わる津軽海峡の豊かな漁場で育った本マグロです。
青魚やイカをたっぷりと食べた冬の大間マグロは、まるで高級和牛を思わせる霜降りで、豊洲市場の初競りで毎年話題を呼ぶ最高峰のブランドです。
下風呂温泉の宿や食堂でも、地元ならではの値段でこの極上マグロを堪能できます。
一方、風間浦村が誇る名物が「風間浦鮟鱇(かざまうらあんこう)」です。
一般的には鍋で知られるアンコウですが、風間浦の漁場環境と古くから伝わる活け締めの技術によって、刺身で食べられるほどの鮮度を保った希少なアンコウが水揚げされます。
刺身に始まり、鍋・和え物と続くアンコウのフルコースは、下風呂温泉郷に泊まった旅人だけが味わえる特別な食体験です。
村営の温泉施設「海峡の湯」に併設した食堂では、湯上がりに津軽海峡で水揚げされたイカやアンコウ、平目などの地魚料理を気軽に楽しめます。
湯と海の幸、その両方を味わってこそ、下風呂温泉の旅は完成します。
室町時代から続く名湯 100メートルに3源泉・すべて源泉かけ流し

出典:青森県
下風呂温泉の開湯は室町時代にさかのぼります。
「刀傷や槍傷に卓効のある湯」として武士や農民に愛され、人々の足音が絶えなかったと伝えられています。
江戸時代には同志社大学の創立者・新島襄もこの地に立ち寄り、その様子を「函館紀行」に書きとめています。
この温泉が全国的に珍しいとされるのは、わずか100メートルの範囲に「大湯」「新湯」「浜湯」という3つの異なる源泉が湧き出していることです。
大湯はpH2前後の強酸性・白濁した硫黄泉、新湯はpH7台の中性・透明な硫黄泉、浜湯は海辺から湧く独自の源泉。
泉質がまったく異なる3つの湯が隣り合う光景は、温泉地質学的にも希少な存在です。
下風呂温泉郷にある温泉はすべて源泉かけ流しです。
湯温が非常に高いため、宿泊施設や共同浴場では加水で温度を調整しながら、源泉本来の成分をそのまま浴槽に注ぎ続けています。
硫黄の香りが鼻をくすぐるたびに、千年近い歴史が積み重なってきた名湯の力を感じます。
昭和33年(1958年)、文豪・井上靖はこの温泉に浸かりながら小説「海峡」の終局を書き上げました。
「ああ、湯が滲みて来る。本州の、北の果ての海っぱたで、雪降り積る温泉旅館の浴槽に沈んで、俺はいま硫黄の匂いを嗅いでいる。」
その一節は、下風呂温泉の源泉かけ流しの湯が持つ力を、これ以上ない言葉で伝えています。



