神話にも登場 日本一の湧出量を誇る別府温泉のはじまりとあゆみ


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更新日:2021年3月16日

「別府八湯(べっぷはっとう)」で有名な「別府温泉」は、日本一の湧出量を誇り、言わずと知れた温泉郷です。今回は、そんな別府温泉の開湯にまつわる歴史や神話、そして別府温泉の代名詞でもある「地獄めぐり」について紐解いていきます。

神話にも出てくる名湯「別府温泉」のはじまり

別府温泉の開湯時期は未だ明らかになっていません。

しかし、8世紀のはじめ頃に作成された「伊予国風土記(いよのくにふどき)」には、下記のように記されています。

「神代の昔、少彦名命(すくなひこなのみこと)と大国主命(おおくにぬしのみこと)の二柱が伊予の国を訪れた時、少彦名の命が病を得て卒倒し、嘆き悲しんだ大国主命が、豊後水道の海底に長いパイプを敷いて、別府の温泉を道後へ運び、少彦名の命を湯浴みさせ、病気が回復した」

これは、伊予の国(いよのくに:現在の愛媛県)を訪れた少彦名命が病で倒れたとき、大国主命が豊後水道(ぶんごすいどう:九州の大分県と四国の愛媛県に挟まれた水道)の海底に長いパイプを敷き別府温泉の湯を運び、湯浴びさせたことで命が助かったというお話です。

この神話が正しければ、古い時代から別府温泉が存在していたことが伺えます。

開拓期はいつ頃?別府温泉のあゆみ

提供:別府市役所 温泉課

別府温泉の開拓はいつから始まったのか。

別府温泉が今のような温泉地になるまでの歴史を遡ってみましょう。

別府温泉の開拓期は明治時代

別府温泉の開拓期は、江戸幕府が崩壊し新しい時代の幕開けとなった明治時代と言われています。

明治時代は掘削技術が大きく発展しました。その発展とともに別府温泉も開拓され、明治後期には、約1,000孔の掘削井(くっさくい)があったと言われています。

明治44年(1911年)に、別府駅が開業したことでアクセスが良くなり、

多くの観光客が訪れるようになったとされています。

昭和30〜40年代に急激な温泉開発が進む

戦時中の別府温泉は、温泉療養基地として機能していました。そのため、戦火を受けず、戦後はGHQ(連合軍総司令部)の米軍基地が置かれていました。

終戦後、社会情勢の安定化や経済復興の影響により、温泉開発の勢いが加速していきます。

高度経済成長とともに観光ブームが到来し、戦前のようにたくさんの観光客が訪れるようになりました。

別府と言えば外せない「地獄めぐり」も古い歴史を持つもの

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別府温泉といえば「地獄めぐり」を思い浮かべる方が多いのではないでしょうか。

「地獄」と付けられている由来、地獄めぐりのはじまりについても紐解いていきます。

「地獄」と呼ばれるようになった由来

地獄の名称由来は、「豊後国風土記(ぶんごのくにふどき)」がきっかけと言われています。

1000年以上前、別府温泉の地は噴気・熱泥・熱湯などが一気に噴出したことで、近寄ることができない嫌われた土地でした。

人々は、この土地を「地獄」と呼んでいたとされています。

そのことが由来となり「地獄温泉」と呼ばれるようになりました。

1917年、国内で最も長い歴史を持つ「別府地獄めぐり」がはじまる

別府の地獄めぐりは、1917年(大正6年)から始まったとされています。

地獄とは「源泉」のことを指し、1300年の歴史を持つ地獄もあります。

地獄は全部で7カ所。

違いを楽しみながら、各地にある地獄を回ることができます。

4つの地獄が「国の指定名勝」

7か所ある地獄のうち、海地獄・血の池地獄・龍巻(たつまき)地獄・白池(しらいけ)地獄の4つの地獄は、「別府の地獄」として国の名勝に指定されています。

温泉が国の指定名勝に選出されたのは初めてのことです。