提供:温泉旅館 銀婚湯

温泉経営者がおすすめする一度は泊まりたい温泉宿#10 上の湯温泉-温泉旅館 銀婚湯-

更新日:2021年10月11日

この記事を書いた人

かっきー

江戸の玄関口と言われた宿場町に生まれ育った生粋の江戸っ子。還暦を迎えた今なお、旅とサーフィンをこよなく愛するアクティブシニア。某夕刊紙に勤務していた経歴を持つ。
マイナーな温泉から秘湯まで、気の向くままに温泉へ出かけることが大好きです。温泉の良さはもちろん、分かりやすく温泉や旅館などの良さをお伝えしてまいります。

世界には数多くの温泉が存在しますが、これほどまでに温泉を愛す民族はいないと言われるほど、日本人に愛されてきた温泉。旅先の風土や大自然、温泉文化や食文化に触れることはもちろん、旅の休息ポイントとなる温泉宿には特にこだわりを持って選ぶという方も多いでしょう。

本企画では、温泉経営者がプロ目線で選んだ「一度は泊まりたい温泉宿」をリレー形式でご紹介してお届けしてまいります。今回ご紹介するのは、温泉天国とも呼ばれる北海道・上の湯(かみのゆ)温泉にある温泉旅館「銀婚湯」です。経営者にインタビューしてお話を伺いした魅力の数々をお届けしてまいります。

第10回目は北海道二海郡八雲町にある上の湯温泉「温泉旅館 銀婚湯」

提供:銀婚湯

第10回となる今回は、前回インタビューさせていただいた秋田県の泥湯温泉「奥山旅館」の奥山さんがおすすめする、上の湯温泉「温泉旅館 銀婚湯」の経営者へインタビューしました。

上の湯温泉は北海道渡島(おしま)半島の北部、二海郡八雲町(ふたみぐんやくもちょう)に位置しています。

二海群は、太平洋の内浦湾と日本海に面することから「2つの海」という意味で名付けられたとされており八雲町は日本の市町村で唯一、太平洋と日本海に接している独特な環境にあります。

上の湯温泉は、海に囲まれた八雲町に流れる落部川(おとしべがわ)の上流の山あいに位置する温泉地です。川べりには野天風呂、周囲は手つかずの原生林に囲まれた大自然の中、広大な敷地をもつ温泉旅館銀婚湯があります。

広大なスケールの温泉宿と自然環境を継承して守り続ける上の湯温泉「温泉旅館 銀婚湯・川口洋平さん」

銀婚湯 代表取締役社長 川口 洋平さん

◇らくらく湯旅編集部(以降 編集部):特別企画の第10回は、上の湯温泉「温泉旅館 銀婚湯」の代表取締役社長である川口さんにお話を伺います。お忙しい中ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

◆川口さん:よろしくお願いいたします。

日本海と太平洋の2つの海に面した温泉地・上の湯温泉

提供:銀婚湯(敷地内を流れる落部川)

◇編集部:銀婚湯のある北海道二海郡八雲町はどのようなところですか?

◆川口さん:渡島半島の北部、駅弁のいかめしで有名な森町と長万部町(おしゃまんべちょう)の間にあるのが八雲町です。

平成になって市町村合併があり、地名の”二海郡八雲町”の通り、日本海と太平洋の2つの海に面した町となりました。

八雲地域は尾張徳川家にゆかりのある地域で、明治時代に旧徳川尾張藩が、明治維新により職を失った旧家臣を移住させ、開拓されたと記録されています。

なお、この地を八雲と名付けたのは開拓以降ですが、北海道の地名は先住民族のアイヌに因んだものが多いです。上の湯温泉の周辺を流れる落部川の”べ(ペ)”は、アイヌ民族の言葉では川とか川の麓の村という意味だそうです。

また、八雲は北海道の観光土産として有名な木彫り熊発祥の地でもあります。

これは徳川家の徳川義親公が、大正時代に冬季に農家の人々が生計を立てられる様に奨励したことが始まりとされています。昭和時代の北海道観光ブームで爆発的に売れたことから、北海道全域で造られる様になったそうです。

◇編集部:とても興味深い歴史との関わりと成り立ちですね。この地にある上の湯温泉についても教えてください。

◆川口さん:上の湯温泉の開湯は、正確な年代はわかりませんが、数百年前と言われています。

先住民族のアイヌの人々が、落部川の中流中洲より湧出する湯で湯浴みや湯治など常浴していたのがはじまりと考えます。

提供:銀婚湯

歴史上に登場するのは、江戸時代後期の弘化3年(1846年)に探検家・松浦武四郎が浴し、蝦夷(えぞ)日誌によって全国に紹介されたとの記録があります。

上の湯温泉は、落部川沿い上流の10kmほど奥まったところに湧出していて、河口側には下の湯温泉もあります。

温泉地といっても、ほかの温泉街の様にお宿が密集しているわけではなく、温泉旅館がポツンポツンと当館とあわせて2軒のみ。周囲は手つかずの山に囲まれた温泉地です。

◇編集部:まさしく秘湯といった趣の温泉なのですね。