伊達政宗も度々訪れた奥州三名湯!秋保温泉の歴史と見所

更新日:2020年12月04日

仙台の奥座敷といわれる宮城県の秋保(あきう)温泉は、奥州三名湯の一つとして数えられています。秋保温泉の起源は古く、飛鳥時代後期の第29代欽明(きんのう)天皇(在位539年~571年)の頃だといわれています。 戦国時代には伊達政宗(だてまさむね)も浸ったと言われ、平安時代から佐藤家が温泉の管理をしていました。また、「秋保」の名前の由来は多数の説がありますが、秋保の名前はかなり古くからあり、古今和歌集にも「秋保の里」と歌われています。 そんな仙台の歴史を感じたい方のために秋保温泉を紹介します。

新型コロナの影響により、各施設の営業状況は変更の可能性があります。詳細は公式HPをご確認ください。らくらく湯旅では引き続き読んで楽しめる温泉情報を発信していきます。

仙台の奥座敷「秋保温泉」とは

提供:奥州秋保温泉蘭亭

秋保温泉は、宮城県仙台市太白区秋保町元に位置する温泉です。秋保温泉は、仙台の都心から近いこともあって、宿泊だけでなく日帰りで入浴を楽しむ人も多くいます。

奥州三名湯の1つとして数えられる

秋保温泉は、宮城県の鳴子(なるこ)温泉、福島県の飯坂(いいざか)温泉とともに奥州三名湯の一つとして数えられています。

秋保温泉の起源と歴史

秋保温泉の起源は古く、詳しい開湯の時期は不明ですが、古墳時代に既に存在していたといわれています。秋保温泉が歴史に登場したのは、第29代欽明天皇の代でした。

秋保温泉の起源は古く古墳時代とされる

秋保温泉の歴史は、古墳時代の後期である第29代欽明天皇(在位539年~571年)の頃だといわれています。

この欽明天皇が皮膚病に感染し、八方手を尽くして治療しましたがなかなか治らず、秋保温泉の効能を聞いて、その湯を都に運ばせたことから秋保温泉は歴史に残る温泉となりました。

欽明天皇の病を治した湯として「日本三御湯」のひとつに

欽明天皇は、在位中に皮膚病に感染し、皮膚病治療には温泉療法と祈祷によって治療を試みていましたが、どの温泉を用いても効果が出ず、病床に伏していました。

しかし、秋保温泉の湯が大和の地に搬送され、欽明天皇が沐浴すると、なんと数日で全快しました。欽明天皇はその喜びを歌にも表すほどでした。

その句とは「覚束な雲の上まで見てしかな鳥のみゆけば跡はかもなし」という歌です。

戦国時代には伊達政宗も度々訪れた

戦国時代には、伊達政宗も秋保温泉に度々治療に訪れたと言います。秋保温泉は平安時代から戦国時代にかけて、佐藤家が「湯守役(ゆもりやく)」を務めていました。

伊達政宗の仙台入府後、秋保温泉に伊達家の藩主の御殿湯(ごてんゆ)が整備され、管理を佐藤家に任せていました。

江戸時代初期までは源泉と入浴場は1か所のみだった

秋保温泉は、江戸時代までは源泉は1ヶ所で、入浴場も1ヶ所のみでした。当時はこの入浴場の周りに宿泊所が設けられていました。

当初、この宿泊所も佐藤家が管理していましたが、1625年に湯治客相手に商いをしていた岩沼町の源助という人が佐藤家と縁を結ぶ形で旅籠(はたご)を開設しています。これが現在も続く宿泊施設「岩沼屋」の祖にあたります。

元禄年間の旅籠が増えたことで賑わいをみせる

元禄年間には、佐藤家と岩沼屋の他に水戸屋が旅籠を開設し、武家だけでなく庶民も秋保温泉を活発に利用するようになりました。

秋保の由来には多くの説が混在

「秋保」という名前の由来には多くの説があり、現在4つほどの候補があります。

「秋保」の名前の由来はどれが本当かは分かりませんが、秋保の名前は古くからあり「古今和歌集」や「新古今和歌集」にも「秋保の里」と歌われました。

平安時代の統治者にちなんだ説

「秋保」という名前の由来のひとつに、平安時代にこの地を治めていた「藤原秋保(ふじわらあきう)」の人物にちなんだという説があります。

藤原秋保という人物がどんな人なのか詳しいことが不明ですが、その人の名前から「秋保」を付けたという説です。

「長寿」を意味する言葉が由来説

「秋保」の名前の由来には、他に詩経や易経にある「百寿ノ秋ヲ保ツ」という長寿を意味する言葉からとったという説もあります。

秋の景色が特に優れていることから説

「秋保」の名前の由来に、この地域の秋の景色が得に優れているところからきているという説もあります。