熊が傷を癒した道南の秘湯【見市温泉】源泉かけ流し|雲石峡の原生林に湧く赤褐色の鉄分泉と蝦夷アワビ三昧の旅
この記事を書いた人
湯あがり ぽか子
温泉大好き40年のベテラン。「一湯一会」を逃さないために、常に手ぬぐいを持ち歩いています。長年の経験で、お湯を触っただけで大体の泉質がわかる特技を持ちます。温泉好きが高じて、温泉ソムリエ・温泉観光アドバイザーの資格を取得。日本の宝である「温泉文化」を皆さんにお伝えできることが喜びです!
北海道二海郡八雲町熊石大谷町、国道277号(雲石国道)を八雲から熊石へと抜ける峠の手前、見市川沿いの鬱蒼とした原生林の中に「見市温泉旅館(けんいちおんせん)」はひっそりと佇んでいます。
明治元年(1868年)の開業から6代・160年以上にわたって家族経営で受け継がれてきたこの一軒宿は、戦前は樺太(サハリン)の造材・鉱山関係者、戦後は北洋の漁船員が傷と疲れを癒した湯治場として北海道の歴史に刻まれています。
湯口から注がれる瞬間は透明ながら、鉄分が空気に触れて赤茶色に変わるミネラル豊富な湯と、熊石近海の蝦夷アワビ尽くしの食卓が、遠くから旅人を引き寄せます。
目次
雲石峡の原生林へ 160年の湯治宿が守り続けた一軒宿の歴史

出典:フォトAC
見市温泉(けんいちおんせん)は、北海道二海郡八雲町熊石大谷町の見市川沿いに位置しています。
道央自動車道・八雲ICから国道277号を熊石方面へ車で約40分(約30キロ)、函館から江差を経由して車で約2時間20分というアクセスです。JR函館本線・八雲駅から予約制の熊石・八雲間コミュニティバスを利用する方法もあります(「見市温泉入口」下車後は徒歩または宿への連絡要)。
発見の経緯は慶応年間(1860年代)。大塚要吉が山中の見市川川岸で傷ついた熊が湯溜まりに浸かっているのを目撃したことに始まります。
明治元年(1868年)に温泉旅館として開業し、以来6代にわたって家族が同じ湯を守り続けてきました。
戦前は樺太(サハリン)や北海道各地の造材・鉱山関係者が仕事の傷と疲れを癒し、戦後は北洋の漁船員たちがはるばるオホーツク海から戻ってこの宿で体を整えました。
「外傷・打撲に効く湯」としての評判が口コミで広がり、今も湯治目的の長期滞在客が訪れる旅館として2泊から利用できる湯治プランを提供しています。
雲石峡の紅葉・雄鉾岳・熊石の日本海 道南の自然と絶景

出典:八雲町役場
見市温泉を包む「雲石峡(うんせききょう)」は道南八景のひとつに選ばれた景勝地です。
八雲地域と熊石地域を結ぶ雲石国道(国道277号)沿いの峠一帯に広がる雲石峡は、見市川上流の渓谷の奇岩絶壁と原生林が続く景観地です。
例年9月下旬から10月中旬の紅葉が最盛期で、カエデ・ナナカマドが渓谷を赤・橙・黄に染め上げる光景は道南随一の美しさと評されており、秋の温泉旅の最高の舞台となります。
晴れた夜には天の川を肉眼で観測できるほど光害が少なく、星空観察のスポットとしても知られています。
峠の脇には「雄鉾岳(おぼこだけ・標高988メートル)」がそびえており、登山者からは道南の隠れた名山として親しまれています。
温泉から国道277号を日本海側へ下れば熊石漁港が広がり、荒々しい日本海の断崖と漁港の素朴な風情が道南らしい旅情を醸し出します。
蝦夷アワビ・ウニ鍋・前浜の幸 熊石の食を食べ尽くす

見市温泉が温泉ファンの間で「また行きたい」と語られるもうひとつの理由が、蝦夷アワビ料理です。
熊石近海は道内有数のアワビ・ウニの産地として知られており、見市温泉旅館では前浜で水揚げされた活きのいい蝦夷アワビを多彩な調理法で提供しています。
本州の黒アワビより小ぶりながら、良質な昆布を餌として育った蝦夷アワビは昆布の香りと風味が肉厚な身に染みており、コリコリとした食感が格別です。
「これまでの人生で一番アワビを口にした2日間だった」「10個以上胃の中に納めた」というリピーターの声が物語るように、アワビ刺身・踊り焼き・アワビステーキ・釜飯とあらゆる調理法で食卓を埋め尽くす「あわびフルコースプラン」は温泉マニアの間で伝説的な存在です。
蒸しウニと噴火湾のホタテを熊石産の玉子で閉じた「ウニ鍋」、前浜のタコ・ヒラメ・ホッキ貝の刺身、行者ニンニクの天ぷらなど北海道の山海の恵みが惜しみなく並ぶ食卓は、温泉と合わさって旅の充足感を完成させてくれます。
湯口から赤茶色に変わる鉄分の湯 源泉かけ流し体験

見市温泉の湯には不思議な変化があります。
湯口から浴槽に注がれる瞬間は透明なのに、浴槽の中では赤茶色に濁っています。これは源泉に含まれる鉄分が空気に触れて酸化することで生まれる色の変化で、湯の鮮度と成分の豊かさを示す自然現象です。
泉質はナトリウム塩化物泉(中性低張性高温泉)・pH6.4・源泉温度59.8℃・湧出量毎分110リットル(自噴)・成分総計5,122mg/kg。
加水・加温・塩素消毒なしの100%源泉かけ流しで、宿から約300メートル上流の岩の間から毎分70リットルが自噴する鮮度そのままの源泉が浴槽に届きます。
鉄分・カルシウム・マグネシウムなど豊富なミネラルが外傷・打撲傷・リウマチ・神経痛への効能を発揮し、塩化物成分が体を芯から温めて湯冷めを防ぎます。
内湯は少し熱めで「身体にピリピリくるような熱さが気持ちいい」と評判の大浴場、露天風呂はやや温めで見市川の清流を眺めながらゆったりと長湯できます。
見市温泉の源泉かけ流し概要

泉質: ナトリウム塩化物泉(中性低張性高温泉・旧泉質名:弱食塩泉)
pH: 6.4(中性)
源泉温度: 59.8℃
湧出量: 毎分110リットル(自噴・宿から約300メートル上流の岩の間から湧出)
成分総計: 5,122mg/kg
湯色: 湧出時は透明→空気に触れて赤茶色に変化(鉄分の酸化)
源泉かけ流し: 100%源泉かけ流し・加水加温塩素消毒なし・飲泉可
効能: 外傷・打撲傷・リウマチ・神経痛・胃腸病・火傷・動脈硬化・高血圧症・脳卒中後遺症
旅の余韻

透明な湯が湯口から注がれ、浴槽の中でじわじわと赤茶色に変わっていく。
鉄分が空気と出会う、その瞬間を見ながら湯に入ります。6代160年の間、同じ岩の割れ目からこの湯が湧き続けていたという事実が、赤茶色の湯の重みを深くします。
樺太の山で傷ついた男たちが、北洋の荒海から帰った漁師たちが、同じ湯で体を癒してきた。
その歴史の重なりの上に、今夜の蝦夷アワビの踊り焼きと見市川のせせらぎがあります。
道南の原生林の奥でひっそりと続く湯治の伝統は、温泉とはなんのためにあるのかを静かに問いかけてきます。



