約700年前の肥前国風土記に登場!嬉野温泉の歴史を辿る


更新日:2021年2月10日

肥前国風土記(ひぜんのくにふどき)にも記されている、非常に古い歴史を持つ佐賀県の「嬉野(うれしの)温泉」は、「日本三大美肌の湯」にも選ばれたことなどからその名を知られるようになりました。この記事では、そんな嬉野温泉のはじまりや名前の由来、全国的に知られるようになった経緯などについてご紹介します。ぜひ歴史に触れたうえで嬉野温泉を訪れてみてください。嬉野温泉の魅力をより感じられるはずです。

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太古の伝説にも由縁がある嬉野温泉

提供:豊玉姫神社

嬉野温泉は佐賀県嬉野市嬉野町にある温泉で、「武雄(たけお)温泉」と並び佐賀県を代表する温泉です。

嬉野温泉の歴史は非常に古く、肥前国風土記(713年)に「東の辺に湯の泉ありて能く人の病を癒す」と記されています。

そして嬉野温泉の名前の由来は、神功皇后(じんぐうこうごう)の時代まで遡ります。

神功皇后の発見が嬉野温泉のはじまりと地名の由来へ

神功皇后が西征(せいせい)へ行ったその帰途にこの地に立ち寄ったところ、川中に温泉が湧いていて白鶴が元気に飛び立っていたのを発見したのが、嬉野温泉の始まりと言われています。

そして、その湯が負傷した兵士の傷を癒やしたのを神功皇后が喜んで「あな、うれしや」と感嘆したことからこの地名がついたとされています。

この逸話にちなんで、嬉野は元々「うれしや」と呼ばれていたようです。また、地元の温泉組合では「うれしいの」が嬉野となったとされるなど、由来には諸説あります。

江戸時代には宿場町として栄えた嬉野

神功皇后が発見した後も長らく注目を集めることはありませんでしたが、1812年(文化9年)には「江戸参府紀行(えどさんぷきこう)」の中で嬉野温泉の泉質について語られることになりました。

それをきっかけに、江戸時代には長崎街道の宿場町として栄えていきました。

嬉野温泉が広く知られるようになった理由

かなり古い歴史のある嬉野温泉ですが、全国的に広く知られるようになった理由はいくつかあります。

昭和天皇が宿泊したことから

嬉野温泉が知られるようになったきっかけのひとつとして、昭和天皇が嬉野温泉に宿泊したことから、多くの人に知られるようになったと言われています。

それは1987年(昭和62年)に佐賀県で行われた第38回全国植樹祭の時であり、昭和天皇は嬉野の和多屋(わたや)別荘に宿泊しています。

和多屋別荘は嬉野温泉の老舗旅館で、江戸時代には薩摩藩の御用宿となっていました。昭和天皇が宿泊したのは特別貴賓室「洗心」で、当時の皇太子徳仁親王、秋篠宮文仁親王はタワー館の「ロイヤルスイートルーム」に宿泊しています。

日本三代美肌の湯として認定されたことから

◇日本三大美肌湯と言われるようになった由来

もうひとつのきっかけとしては、嬉野温泉のその泉質などから、中央温泉研究所と藤田聡氏によって島根県の「斐乃上(ひのかみ)温泉」、栃木県の「喜連川(きつれがわ)温泉」と共に、「日本三大美肌の湯」に選ばれたことが挙げられます。


◇美肌効果をもたらす泉質とは

嬉野温泉の湯にはナトリウムが多く含まれており、角質化した皮膚をなめらかにし、みずみずしい肌に蘇らせてくれると言われています。
また、嬉野温泉の泉質は無色透明の重曹泉であり、その作用として皮脂や分泌物を乳化して洗い流し、血行促進にもよいとされています。

嬉野温泉の歴史を忍ばせる3大スポット

ここでは、嬉野温泉には歴史を忍ばせる3大スポットをご紹介します。

シーボルトが訪れたことで命名された「シーボルトの湯」

佐賀県嬉野市嬉野町下宿乙(しもじゅくおつ)に所在している「シーボルトの湯」は、2010年に復活した嬉野温泉公衆浴場です。江戸時代に日本を訪れたドイツ人医師シーボルトが訪れたことから命名されました。

この「シーボルトの湯」のある場所は、もともと1924年(大正13年)にドイツ人の設計で造られた公衆浴場「古湯」がありました。しかし、老朽化や2005年に発生した福岡県西方沖地震の影響により取り壊されることになったのです。それから5年後の2010年に、当時の設計をもとに立て直されました。

大正ロマン風のゴシック建築物で、木造2階建て約750平方メートルの敷地に、オレンジ色の洒落た姿が特徴です。

館内は、大浴場や貸切湯、市民ギャラリーなど観光客から市民の憩いの場として整備されました。

<施設詳細>
・住所:佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙818-2
・電話番号:0954-43-1426
・営業時間:6:00~22:00

400年の歴史と伝統ある作品を展示する「肥前吉田焼窯元会館」

「肥前吉田焼(びぜんよしだやき)」は、江戸時代から鍋島藩主の奨励に栄えましたが、有田焼として分類されてきたという経緯があります。

そのため、長い間その名前はあまり世に出ることがありませんでしたが、肥前吉田焼は長い歴史の中で培われた高い技術を誇っています。

佐賀県嬉野市嬉野町大字吉田に所在する肥前吉田焼窯元会館は、400年の歴史と伝統ある作品の数々が展示されています。

2019年1月26日にはショールームをリニューアルオープンし、絵付けや手びねりなどの体験コーナーを充実させています。

新設されたティースタンドでは、テイクアウトスタイルで嬉野茶「歩茶(ほちゃ)」や嬉野で人気のカフェ・うれし庵のスイーツを楽しむことができます。

<施設詳細>
・住所:佐賀県嬉野市嬉野町大字吉田丁4525-1
・電話番号:81954439411
・営業時間:8:30~16:30

天保元年創業、嬉野の中でも最も古い旅館「大村屋」

提供:大村屋

佐賀県嬉野市嬉野町大字下宿乙に位置する旅館「大村屋(おおむらや)」。

1830年(天保元年)創業と嬉野の中で最も古い旅館です。

「大村屋」は天保元年から現在の平成まで、実に12の年号で営業を続けています。

そんな古い歴史を誇る大村屋には、大きな窓から光が差し込み開放的な気分を味わうことができる女湯「麗しの湯」と男湯「月影の湯」、貸切風呂で温泉を楽しむことができます。

大村屋自慢の4つの貸し切り風呂では、嬉野川を望みつつ草花や風の香りを感じ、ゆっくりとした時間を過ごせます。

<施設詳細>
・住所:佐賀県嬉野市嬉野町嬉野町大字下宿乙848
・電話番号:0954-43-1234

歴史情緒あふれる嬉野温泉の旅にいますぐ出かけよう!

肥前国風土記にも記されているなど歴史古い「嬉野温泉」。

温泉街には今回ご紹介したシーボルトの湯をはじめとて、歴史を感じれる場所が多く存在します。また、都心部とは異なり、少し行くと自然豊かな場所でもあります。

そんな歴史情緒あふれる嬉野で神功皇后の時代に思いを馳せながら、嬉野温泉に浸る旅に出かけてみてはいかがでしょうか?