万葉集に登場する日本三古泉のひとつ!南紀白浜温泉の歴史とあゆみに迫る
和歌山県の「南紀白浜(なんきしらはま)温泉」は、有馬温泉、道後温泉と並んで日本三古湯のひとつであり、日本書紀や万葉集にも登場しています。 また、658年(斉明4年)に斉明(さいめい)天皇と中大兄皇子(なかのおおえのおうじ)が入湯したといわれ、天皇をはじめ多くの皇族や貴族が湯治に訪れていたとされています。 今回はそんな南紀白浜温泉の歴史を辿ります。
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目次
日本三古泉のひとつ、「南紀白浜温泉」とは
南紀白浜温泉は和歌山県西牟婁郡(にしむろぐん)白浜町にある温泉で、かつては熱海温泉や別府温泉と並んで日本三大温泉といわれていました。
また、温泉としての歴史はかなり古く、日本三古湯のひとつとして有名であり、古くは牟婁の湯(むろのゆ)と呼ばれていました。
広い意味での南紀白浜温泉は温泉郷であり、合計7ヶ所の温泉地に細分されています。
太平洋に面した海岸沿いに湧き出る温泉地
南紀白浜温泉は和歌山県の太平洋に面した白良浜(しららはま)を中心にした温泉地であり、海岸沿いには温泉施設、宿泊施設が並んでいます。
「白浜」の由来とは
南紀白浜の「白浜」の名前の由来は、鉛山(かなやま)湾に面した白良浜からきているとされています。
白浜の由来となる白良浜は、砂が雪のように真っ白いことから名づけられたようです。白い砂は古くから知られていて歌枕に使われていたり、白いことの形容として使われていました。
白良浜の砂はケイ酸含有率90%以上の石英砂(せきえいさ)からなり、ガラスの原料として使用されています。(現在でも使用されているようですが、断定はできません)
1350年の歴史「南紀白浜温泉」のあゆみ
南紀白浜温泉は「日本書紀」や「万葉集」で「牟婁温湯(むろのゆ)」「紀温湯(きのゆ)」の名で登場し、有馬温泉、道後温泉と並んで「日本三古泉」のひとつと数えられています。
1350年前からの歴史があり、かつては天皇や貴族たちが入湯したといわれています。
658年以降、歴代天皇が度々訪れる温泉地に
南紀白浜温泉の崎の湯は、658年(斉明4年)に斉明天皇と中大兄皇子が入湯したといわれています。
また、斉明天皇のをはじめ、持統(じとう)天皇、文武(もんむ)天皇など、多くの皇族や貴族がはるばる湯治に訪れていたようです。
江戸時代には庶民から親しまれるように
南紀白浜温泉は江戸時代に入ってからは、紀州藩主の貴族だけでなく庶民にも親しまれ、多くの人たちが白浜温泉に入湯するようになりました。
さらに江戸末期には「紀伊続風土記(きいぞくふどき)」によると「村中六十余戸、皆浴客の旅舎となり、飲食玩好歌舞の類に至るまで都会の地に羞じざる(訳:はじない)」と記されるほどの賑わいだったことが分かります。
戦後は新婚夫婦のハネムーンとして人気の温泉地へ
戦後の南紀白浜温泉は、東京から比較的近く温暖な場所であるという理由から、観光ブームが巻き上がりました。それにより、新婚旅行スポットとして注目されるようになったようです。
同時に京阪神の奥座敷として、団体観光客向けの歓楽温泉としても発展したのです。
1970年以降レジャー温泉地へと変化
その後、1970年代からは、南紀白浜アドベンチャーワールドや白浜エネルギーランドの開園に伴って、家族向けのレジャーで楽しめる温泉地としての側面を持ち合わせるようになり、現在に至ります。
南紀白浜温泉の歴史を知ることができる3つのスポット
南紀白浜温泉には「有間皇子由来の熊野三所神社(くまのさんしょじんじゃ)」、自然が造った和歌山の奇岩「通り抜け奇岩」、南方熊楠(みなかたくまくす)の膨大な資料が保存された「南方熊楠記念館」といった歴史的スポットがあります。
有間皇子由来の歴史を感じられる熊野三所神社
熊野三所神社は和歌山県西牟婁群白浜町にあり、白良浜の北端に位置しています。
伝承によると、斉明天皇が658年に牟婁の湯に行幸した際、この地にあった石に腰掛けたことから斉明天皇腰掛石を磐座とし御神体として祀(まつ)ったとされています。
後に熊野三所権現(くまのさんしょごんげ:熊野三社の主祭神として祭られる三神)を祀っています。
1868年(明治元年)に神仏分離の際に社名を熊野三所神社に改称しました。
自然が造った和歌山の奇岩、通り抜け奇岩
通り抜け奇岩は、臨海浦海水浴場の端にある大きな穴の空いた奇岩です。正式な名前は付けられておらず隠れスポットとなっています。
長い年月を経て作られたということもあり、この地の歴史を感じることのできるスポットのひとつと言えます。
南方熊楠の膨大な資料が保存された南方熊楠記念館
南方熊楠(みなかたくまぐす)は、和歌山県が生んだ博物学者、生物学者、民俗学者です。19歳から14年間アメリカやイギリスなどに海外遊学、10数カ国語を自由に使いこなし、国内外に多くの論文を発表し世界的にも有名な学者です。
南方熊楠記念館には、そんな南方熊楠が残した膨大な資料が保存されています。
白浜温泉の風情を今に残す南紀白浜温泉の6つの外湯
南紀白浜温泉には現在も風情を残した6つの外湯があります。
それぞれどのような特徴があるのか見ていきましょう。
崎の湯
提供:白浜町観光課
崎の湯(さきのゆ)は太平洋に面した開放感のある露天の岩風呂で、658年に斉明天皇と中大兄皇子が入湯したといわれる由緒ある湯です。また、紀州藩主時代に徳川吉宗も入湯していることでも知られ、波を間近に見ながら入れるダイナミックな温泉です。
牟婁の湯
提供:白浜町観光課
牟婁の湯(むろのゆ)は崎の湯と並んで白浜温泉の代表的な外湯で、日本書紀や万葉集にも詠われた古い源泉の湯です。
浴場には大きな2つの湯船があり、ひとつはすぐそばに湧く砿湯(まぶゆ)源泉で、もうひとつは崎の湯と同じ行幸源泉が引かれていてます。1度に2つの異なる源泉を味わうことができる浴場です。
長生の湯
提供:白浜町観光課
長生の湯(ちょうせいのゆ)は山肌に作られた温泉施設で、海を展望できる風呂や草木に囲まれた風呂など、露天を中心とした湯船が多くあります。
昭和の時代には古賀湯という名前の温泉施設でしたが、源泉の枯渇により一時閉鎖していました。しかし、数十年後に同じ場所に「長生の湯」として復活しています。
白良湯
提供:白良湯
白良湯(しららゆ)は白良浜の砂浜から出たところにある共同浴場で、夏は観光客で賑わいます。昔ながらの番台があることから銭湯を思わせる庶民的な温泉で、連日常連客で賑わっています。
お湯に浸かりながら、眩しいまでの白良浜と青い海が窓越しに眺めることができ、贅沢な時間を堪能できます。
網の湯
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網の湯(あみのゆ)は、「舟を岸辺に着けても綱が必要ない」といわれる波静かな場所にあり、入江温泉街中心部から少し離れた白浜桟橋の近くに位置しています。
源泉はかなりの高温で、小さめの浴場の湯船にかけ流されています。
2005年9月に耐震性の問題で一旦閉鎖されていましたが、2008年6月にリニューアルオープンしました。
松乃湯
提供:白浜町観光課
松乃湯(まつのゆ)は、円月島(えんげつとう)に向かって進んだ瀬戸内湾沿いにあり、下町の銭湯の雰囲気が漂う温泉です。海がすぐそばにあるため、塩分濃度が高いという特徴があります。
一見公民館風の建物で、窓からは円月島を眺めることができます。
日本三古泉「南紀白浜温泉」で歴史辿るたびに出かけよう
日本三古泉のひとつとして古い歴史のある南紀白浜温泉は、現在もなお風情を残した6つの外湯を楽しむことができる貴重な温泉地です。
外湯はどれも太平洋に面し、海を眺めながら気持ちよく温泉に浸ることができます。
古くからの歴史に思いを馳せながら、同時に温泉を堪能する旅に出かけてみてはいかがでしょうか。
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