歴史は新しいが奥が深い!石和温泉の過去を紐解く
山梨県にある「石和(いさわ)温泉」は、温泉地としての歴史はさほど古くはありません。その一方で石和の地名は古文書にも記されており、鎌倉時代から政治や経済の中心地として栄えていました。また、戦国武将として名高い武田信玄ゆかりの地でもあります。今回はそんな石和温泉と石和の地の歴史についてご紹介します。
目次
1956年(昭和31年)、石和温泉の歴史は突如としてはじまる
提供:石和温泉観光協会
石和温泉は、山梨県笛吹市の旧東八代郡石和町にある温泉地です。
隣接する地域には春日居(かすがい)温泉もありますが、宿泊施設や源泉位置が共に同じ場所にあるため、実質的に一体化されて石和温泉と名付けられています。
そんな石和温泉は、1956年(昭和31年)という比較的新しい時代に歴史が始まりました。そこにはどんな歴史が潜んでいるのかを辿っていきます。
最初の湧出は1956年
石和温泉の最初の湧出は、今から64年前の1956年12月で、小松遊覧農場(現在の日本中央競馬会の場外勝馬投票券販売所ウインズ石和)の敷地内で井戸を採掘していたところ、源泉が湧出したのが始まりです。
最初の湧出からすぐに昭和時代のレジャー施設として地元で人気となり、ローマ風呂なども設置されるようになりました。
さらに1961年、旅館「いずみ荘」でも湧出
小松遊覧農場での最初の湧出から5年後の1961年には、旅館「いずみ荘」で温泉の掘削を行ったところ毎分2,000リットル49度の温泉が湧出しました。
その後、即席の露天風呂が造られるなど「青空温泉」としてテレビで放送され、注目されるようになりました。同時に、地域内の宿泊宿でも掘削が行われるようになったとされています。
湧出後、高度経済成長時代に人気温泉地として急激に発展
提供:石和温泉観光協会
1961年に旅館「いずみ荘」で湧出したことから、当時の高度経済成長時代の波に乗って石和温泉は急激に発展していくことになります。
急激な発展の裏には交通手段の発展がある
石和温泉の急激な発展には、交通の便も影響しています。
たとえば、石和温泉までは、新宿駅から特急「あずさ」や「かいじ」で1時間半という近さであり、自家用車で行く場合でも、中央自動車道の開通によってアクセスが容易となりました。
全盛期は熱海に次ぐ規模の温泉街へ
そうした交通の便のある石和温泉は、京浜地区の奥座敷と呼ばれ、全盛期には熱海に次ぐ規模の温泉街へと発展しています。
さらに、温泉街としては新日本観光地100選の第3位に選ばれるなど、石和温泉は観光地としても有名になりました。
温泉の歴史は新しいが「石和」の地の歴史は古い
石和温泉の歴史は、1956年の湧出以降のこと。
温泉としての歴史はまだまだ新しい石和温泉ですが、石和の地には古文書にも記されるほどの古い歴史があります。
古文書にも記される「石和」
石和の地名は古文書にも記されていて、地名の由来やその変遷について「石」「胆沢」「井澤」「石和」といった名前(どれも読みは「いさわ」)が残っています。
石和は鎌倉時代から政治や経済の中心地として栄え、近世には甲州街道の宿駅としても発展してきました。また、江戸時代から明治まで笛吹川(ふえふきがわ)の水害を幾度も経験し、その復興を繰り返しながら成長してきて現在の姿となっています。
武田信玄とも関係の深い地
石和の地は戦国武将で有名な武田信玄ともゆかりのある地であり、石和町にある「石和八幡宮(いさわはちまんぐう)」は、甲斐国(かいのくに)守護の武田氏の歴代当主が尊崇してきたという歴史があります。