提供:紗々羅

温泉経営者がおすすめする一度は泊まりたい温泉宿#14 下呂温泉-紗々羅-

更新日:2021年2月7日

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かっきー

江戸の玄関口と言われた宿場町に生まれ育った生粋の江戸っ子。還暦を迎えた今なお、旅とサーフィンをこよなく愛するアクティブシニア。某夕刊紙に勤務していた経歴を持つ。
マイナーな温泉から秘湯まで、気の向くままに温泉へ出かけることが大好きです。温泉の良さはもちろん、分かりやすく温泉や旅館などの良さをお伝えしてまいります。

日本中の温泉で、気持ちのいい汗とともに日頃の疲れをスッキリと流してくれる湯巡りの旅は、日本が世界に誇る伝統的な文化のひとつです。なかでも、趣向を凝らした空間で旅人を迎えてくれる「温泉宿」は、こだわりを持って選びたいものです。

本企画では、温泉経営者がプロ目線で選んだ「一度は泊まりたい温泉宿」をリレー形式でご紹介してお届けします。今回ご紹介するのは、古来より湯治客が訪れる岐阜県下呂市の下呂温泉(げろおんせん)にある「紗々羅(ささら)」です。経営者にインタビューしてお話を伺いした魅力の数々をお届けしてまいります。

第14回は岐阜県下呂市にある「紗々羅」

提供:紗々羅

第14回となる今回は、前回インタビューさせていただいた山梨県富士河口湖温泉の「大池ホテル」の渡邊さんがおすすめする、岐阜県下呂市にある「紗々羅」にインタビューしました。

紗々羅のある岐阜県下呂市は県の中部に位置し、市の面積全体の約9割を山林が占めています。

下呂市の中心には飛騨川(ひだがわ)、西には馬瀬川(うませがわ)が流れ、御嶽山(おんたけさん)をはじめとする山並みが連なっています。飛騨木曽川国定公園や岐阜県立自然公園なども含まれる県内有数の自然豊かな地域です。

天下の名泉と称される「日本三名泉」のひとつである下呂温泉は、室町時代から1000年以上続く伝統ある温泉地。

飛騨川沿いを中心に下呂駅や温泉旅館などの宿泊施設が多数あり、歓楽的な賑わいと山里の風情が調和しています。自然の景観をはじめ、史跡や文化施設、年間を通じて様々な文化イベントが開催されるなど、老若男女が癒しと体験を愉しめる温泉街です。

歴史と伝統ある地域の発展にも尽力される「紗々羅・大前雅嗣さん」

紗々羅 大前 雅嗣さん

◇らくらく湯旅編集部(以降 編集部):特別企画の第14回は、下呂温泉「紗々羅」の3代目として、当代2代目館主をサポートされる大前さんにお話を伺います。

お忙しい中ありがとうございます。よろしくお願いいたします。

◆大前さん:こちらこそ、よろしくお願いいたします。

下呂温泉、山林に囲まれ1000年以上も続く日本三名泉のひとつ

出典:PIXTA

◇編集部:日本三名泉のひとつが湧く、下呂温泉のある岐阜県下呂市はどのようなところですか?

◆大前さん:下呂市は、名高い温泉として長い歴史があることから、主に観光業で成り立っています。

下呂温泉は、周囲を山に囲まれ、街の中心を飛騨川やその支流が流れる豊かな自然環境と歓楽街を併せ持った温泉街です。

田舎なので、大きなアミューズメント施設といったものはありませんが、お土産店や美味しい和菓子やお食事のお店などが多数揃っています。

また、温泉地には下呂温泉合掌村や歌舞伎座などの歴史文化施設や、美しい景勝地、各種イベントなど見どころやアクティビティも沢山ございます。

出典:PIXTA (下呂温泉合掌村)

出典:PIXTA (高山本線 中山七里)

◇編集部:下呂温泉はとても歴史のある温泉地としても名高いですよね。

◆大前さん:この地の温泉は、湯ヶ峰(ゆがみね)という山より、平安時代の村上天皇の御世から湧出していたと言われています。当時は来るにも困難な場所であったと考えられますが、湯治にみえる方が多かったようです。

その300年ほどの後、地震があり温泉が湧き止んでしまい、下呂の人々も湯治の方もひどく残念に思いながら過ごしていたようです。

そして、温泉の噂も出なくなるくらい時間がたった頃に、河原で白鷺が傷を癒していることから温泉が湧いていることを発見したことが白鷺伝説として伝承されています。

また、その白鷺が一声鳴いて飛び立ち、下呂の街にある大きな杉の木に泊り、不思議に思った村人がそこに行くと、薬師如来が鎮座しており、この伝説から温泉寺を創建したとも伝わっています。

出典:PIXTA (下呂温泉 温泉寺)

文献などで紹介されるのは、室町時代に、五山僧・万里集九(ばんりしゅうく)が草津・有馬とともに天下三名泉として全国に紹介したほか、江戸時代には林羅山も著書の中で草津・有馬とともに効能あらたかな名泉の湧く湯として紹介されています。

もう一つの歴史として、河原に湧く温泉であることから、江戸時代から洪水に見舞われる度に温泉が駄目になり、再び湧くことを繰り返し、いつしか温泉地から寂れた農村地となってしまったそうです。

しかし大正時代に入り、世間の温泉熱の高まりとともに、ボーリングによる掘削で源泉を掘り当て、それから現在の下呂温泉として再興していったとされています。

江戸時代から続く宿もある古くから栄えてきた川沿いの湯之島地区、昭和の初めには山の上、対岸の幸田地区にも宿ができ始め、温泉街を見下ろす紗々羅のある森地区などと広がってきたのです。

◇編集部:この地の皆様が何代にも渡って、貴重な温泉を継承されて来られたのですね。

◆大前さん:当時からの下呂温泉の伝統として、都会がどんなに変わっても1000年来続く飛騨の伝統文化の継承、もう一方ではお越しいただくお客様本意であるべきと考え、時代に合わせて刷新していくという伝統のもと発展してまいりました。

特に時代に合わせて刷新していくという面では、源泉の場所が移り訪れる方々が悲しまれたという下呂温泉の過去の歴史から、温泉資源も無限ではないと考え、昭和49年に全国に先駆けて集中管理システムを導入しました。

それにより、良質な温泉を将来にわたって安定供給できるよう、今もなお守り続けております。

◇編集部:近年の環境保全に配慮した持続可能な社会と都市の実現に通じる先進的な取り組みをいち早く導入されていたのですね。

◆大前さん:下呂温泉観光協会では、自然の魅力と観光地域振興に積極的に取り組む先駆的な観光地域づくりを組み合わせた「E-DMO(イーディーエムオー)」にも力を入れています。

例えば、足湯をはじめとする様々な設備を整えてお越しいただく皆様をおもてなしする取り組みをしています。

◇編集部:下呂温泉には、噴泉池(ふんせんち)と呼ばれる川沿いの無料の露天温泉や、足湯も多いと聞きました。

◆大前さん:噴泉池は昭和の後期から、老若男女が湯浴みを愉しめる河原で入浴のできる人気のスポットだったのですが、平成20年ごろには水着着用となり、令和3年の12月より入浴を取りやめて足湯のみを愉しんでいただけるようになっています。

出典:PIXTA (飛騨川沿いの噴泉池)

立ち寄り湯には、大正14年にできたモダンな銭湯の白鷺の湯や、幸田地区の幸之湯をはじめ、足湯も沢山あります。

温泉手形をご購入いただければ加盟旅館の温泉もご利用いただけます。

ご宿泊の翌日には、これらの立ち寄り湯を愉しんでいただきながら、地産グルメや素肌美人スイーツを食べ歩いてお過ごしいただけます。

温泉街として自然の恵みに感謝する気持ちを込めて、平成元年に山形の温泉の神様を勧請し、下呂温泉神社を建立。神事や毎年の例祭なども行って宗祀しています。

◇編集部:さまざまなお取り組みをされているんですね。